幼いころ、雪は“まるい”と思っていました。
白くて小さくて、“まるい”ふわふわしたものが天から降ってくると……。
“雪の結晶”をはじめて見た冬の日の感激は忘れられません。
降ってくる雪を受け止めようと、うすいブルーの毛糸の手ぶくろをした両手を大きく天に向かって広げていたのです。
雪が顔にあたり、くすぐったくて両手をおろした、その瞬間(しゅんかん)でした。
けばだった毛糸の指先に、ちょうど小さな小さな蝶(ちょう)がとまるように、美しい結晶(けっしょう)がキラキラと光っていたのです。
わたしは、息を止めました。
もう、そのころは“雪はまるくはないのだ”と知っていました。
雪の結晶の写真も見ていましたが、実物を見るのは、はじめてだったのです。
完璧(かんぺき)な雪の結晶は、わたしの指先でくすくす笑っているようでした。
時が止まったようでした。まわりにいた友達を呼ぶことも忘れて結晶を見つめながら、わたしは“どうか消えないで”そう願い続けていました。
けれど、また、結晶はうふふと(かすかに笑ったかに思えた)その小さな声を残して、瞬(またた)く間に消えてしまったのです。
それから今にいたるまで、雪が降るたびに結晶を見たくて天に両手をあげ、目を凝(こ)らします。
何度も見る機会はありました。
草の上、階段の手すり、友人の黒いコート……。
けれど、あのとき見た結晶のように美しく、お茶目で、いまにもしゃべりだしそうな“雪のひとひら”に出会ったことはありません。
雪の結晶はまったく同じものはないのだ、とウィルソン・ベントレーの写真集を見て実感しました。その写真集には、雪に人生をかけたといっていいベントレーが写した、おびただしい数の結晶がのっています。何千というその結晶の形はすべてちがうのです。
さまざまな形の六角形の雪の結晶。(まれに細長い形もあるようですが。)
雪の異名(いみょう)を日本では<六花(りっか)>というと知って、いつか物語の主人公につけたいと思っていました。(『薔薇(ばら)色写真館』という短編集で実現しました。)
わたしは冬になると、ベントレーのその写真集を開きたくなります。
学者ではなく、アメリカのバーモント州に住むささやかな農夫だったベントレー。
その写真集からは、ただただ、美しく気高(けだか)い雪の結晶に魅(み)せられた純粋(じゅんすい)な気持ちが伝わってきます。
また、小林禎作(こばやしていさく)著の『雪に魅せられた人びと』という本には、ベントレーの言葉が紹介されています。
《……個々の結晶の生い立ちと、雲の中を旅してくる間に受けたさまざまな変化について、多くのことを学ぶことができる……。》
そんなベントレーの言葉にふれると、雪の結晶……そのひとひら、ひとひらが、<人間>のように思えてきます。
《たいていの人は、形の大きな結晶が、いちばん美しいのだろうと考えがちです。しかし大きいと、それは何か全体の形が美しく肉眼に見えやすいだけのことです。実際に顕微鏡(けんびきょう)でよく調べると、これら大きな結晶には不完全なものが多く、いちばんみごとなものは、中型か、むしろ小さいものに多いのです。》
(引用はいずれも『雪に魅せられた人びと』小林禎作著/築地書館より)

……バースディクラブの“みなりん”に聞かせたいなあ。
ほんとうに美しいものって……“見えるものだけではない”と思うの……。
そして、
美しいことによって、不幸せだと感じているのが里鶴(りず)です。
3巻目は、そんな里鶴の心情をてまりとともに見つめていきたいな。
新しい登場人物とも、ね!
雪がたくさんつもると、いろいろな遊びをします。
炭をひもで結わえて、<雪釣(つ)り>の散歩に出かけたり……。
炭に雪がくっついて、だんだんふくらんでいって……そう、雪がたくさん“釣れる”のよ!
今年、わたしの街は、とてもあたたかです。
それでも真冬。灰色の夕方、雪のにおいを感じることがあります。
雪……。
わたしは、天空にそびえる美しい白いお城を想像します。
だれもいない白い天空の城……。
その城壁はすべて、雪の結晶。それが、風が吹くとはがれ落ちていって……。
その城には、かつてどんな王族が住んでいたのでしょう。
みんな、どこにいってしまってのでしょう……。
小林禎作氏の名著『雪に魅せられた人びと』を開くと、
そのかたすみにひっそりと小さく……
《 なんじ
雪の宝物庫に入りしや
旧約聖書・ヨブ記 》
そう記されています。
天空の城のどこかに、その<宝物庫>が眠(ねむ)っているのかもしれません。
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