どうも、はやみねかおるです。
ぼくは、自他共にみとめる出不精な人間です。(最近は、デブ症になってきたので、気をつけてます。)
1週間や2週間、家から出ないことなど、しょっちゅうです。
たまに外に出ると、近所の人から、「おー、先生。生きとったんか」と、おどろかれるような人間です。(小学校の先生をしていたため、まだ地元の人は、ぼくのことを「先生」と呼びます。)
もともと、出かけるのが好きな方ではありません。
できるなら、家でゴロゴロしていたい。少しぜいたくを言うなら、そのときはわきに推理小説が数冊ほしい。そう思ってます。
そんなぼくが、日本を遠くはなれたドイツとチェコに行ったお話を、させていただきます。
「怪盗クイーン」や「少年名探偵WHO」を担当してくれてる児童図書第2出版部の森定泉さんが、ドイツ研修に行く――それが、きっかけでした。ちなみに“泉”という名前ですが、森定さんは男性です。
よくわからないのですが、ドイツの図書館で8月から10月の終わりまではたらくとのことです。ぼくは、心の中で「ドイツへの島流し」と呼んでました。(ときどき、声に出して言ったりもしてました。)
![]() |
読者のみなさん、誤解してはいけませんよ。研修っていうのは、ドイツの国際的な図書館で、世界各国の人とまじわりつつ、児童文学についての見聞(けんぶん)を広めるという、ちゃんとした仕事なんですよ。 (編集 森定) |
3か月で帰国するとのことですが、ひょっとすると、二度と会えないのではないかと思いました。
森定さんがいないあいだ、代わりに稲葉さんという美人の担当さんがついてくださることになったので、二度と会えなくてもいいかなと思いました。
「はやみねさんも、ドイツへ行きませんか?」
児童第2出版部の高島恒雄部長から電話があったのは、いつのことだかはっきりおぼえてません。
「はぁ、いいですね。」
ぼくは、とても気軽に答えてました。
冗談だと思ったのです。
だって、目的地がドイツです。近所のスーパーマーケットじゃありません、ヨーロッパです。世界地図を見ても、とても遠い国です。
そんなところに気軽に行けるはずがありません。
また、高島さんの口調が、
「そこの電気屋へ、新しいデジカメを見に行きませんか?」
そんな軽いものでした。もっとも、高島さんの口調がまじめになるのは、よっぱらったときだけのような気もしますが……。
読者のみなさんも、「一生、そんなところへ行くはずない。」と思ってる場所があるはずです。
でも、覚悟しておいてください。
人生、なにがあるかわかりません。
気がついたら、ドイツの地に立ち、さっぱりわからないドイツ語を聞いてるはめになることもあるのです。それが、人生というものです。
また、そのときのぼくは、『虹北みすてり商店街』というシリーズの最終作で苦しんでるときでした。原稿がせっぱつまってるとき、ただでさえ低いぼくの現実認識能力は、かぎりなくゼロに近くなります。
「じゃあ、9月末か10月初めに行きましょう。」
「わかりました。」
電話を切ったとき、ドイツへ行くという話はほとんど忘れてました。
とにかく、はやく原稿を書き上げないといけなかったのです。
それからしばらくして、なんとかぶじに最終作の原稿を書きあげることができました。
少しばかり現実世界を認識する時間ができました。
そんなとき、高島さんからメールがとどきました。
![]() |
||
|
ドイツで会うのは、国際児童図書館のガンゼンミュラーさんと、ハンブルクの岩本順子さんです。
ホテルによっては歯ブラシなどアメニティー関係がないこともあるかもしれないので、洗面道具(さすがにタオルはあるでしょう)、ひげそり、くし、つめ切り、つめやすり、なども、あったほうがいいかも知れません。 |
||
「…………」
このとき、「ひょっとすると、えらいことになってきてるんじゃないか?」と思いました。
ぼくは、海外旅行の経験が2回あります。どちらも、ハワイです。
ハワイは、わりと日本語が通じました。ぼくのつたない英語でも、1割ぐらいは言いたいことが言えたし、1割7分ほど相手の言ってることも理解できました。
それに、ハワイは常夏です。ぼくは、どれだけ暑くても、海でプカプカしてたら、しあわせな人間です。
でも、ドイツは、常夏の国じゃありません。夏というより、秋とか冬のイメージです。ドイツの海も、泳いだり魚をつったりというより、日光浴を思い浮かべてしまいます。
だいたい、ドイツに海があるのかどうかも、ぼくは知りません。
「……ひょっとすると、本当にドイツへ行くの?」
声に出して、つぶやいてみました。
一人で部屋にこもっていたので、この質問に答えてくれる人は、だれもいませんでした。
講談社に電話をかけると、なんだかこわいことになりそうな予感がしたので、ぼくは原稿を書くことにしました。
『都会(まち)のトム&ソーヤ』というシリーズのしめきりが、近づいていたのです。
あと、“トランジット”というものがなんだったのか、ドイツから帰ってきたいまになってもわかりません。
「前後編になってもかまいませんよ。」
『都会のトム&ソーヤ』の打ち合わせの時、児童図書第1出版部の阿部薫さんから、そう言われました。
今回の原稿は、いよいよ主人公たちがゲームを作る話です。
書き出したら、ものすごく長くなる──そんな予感がぼくにはありました。阿部さんも、それを感じていたのでしょう。
「でも、前編は11月に出したいので、しめきり厳守でお願いします。」
そう念を押されました。ぼくは、気軽にうなずいてました。
阿部さんとは、長いつきあいです。ぼくがしめきり破りの常習犯だと、よくわかってくれてるという甘えもありました。
物語の構成を考えてるときや原稿を書いてるとき、ぼくは別世界へ行っちゃってるそうです。(おそらく、そこが赤い夢の世界なのでしょう。)
現実認識能力はかぎりなくゼロに近づき、
「この間、話したじゃないの!」
と、会話の内容を忘れていて、奥さんに怒られることは日常茶飯事(にちじょうさはんじ)です。
忘れようとして忘れてるのではありません。
相手との会話を、ないがしろにしてるわけでもありません。
真剣に聞いてるし、おぼえようとしてるのです。
でも、原稿にかかると、現実世界はどんどん遠ざかっていくのです。
![]() |
たまに、宇宙人と話しているように思えるときがあるのは、そういうわけだったのですね。ようくわかりました(泣)。 (編集 森定) |
「ドイツでは、どんなところを見たいですか?」
森定さんからのメールが入ります。
希望はありません。というか、どんなものがあるかも知らないので、なんとも答えようがありません。
電話もかかってきます。
「錬金術師やゴーレムなんかを見ると、怪盗クイーンを書くときの参考になると思いますが。」
「そうですね。ぜひ、お願いします。」
深く考えられないぼくは、適当に答えてました。
「じゃあ、ミュンヘンからプラハ、ハンブルグをまわるというルートで行きましょう。」
「ミュンヘン? ドイツへ行くんじゃないんですか?」
「……ミュンヘンは、ドイツの都市です。」
「…………」
ちなみに、プラハはドイツの都市ではなくチェコの都市だと、後で教えてもらいました。
このときのぼくは、チェコスロバキアが、チェコとスロバキアに分かれたことも知りませんでした。
森定さんの、
「こちらで、適当にみつくろいます。」
というため息まじりの声に、ぼくはすべてをゆだねました。
![]() |
ミュンヘンは、南ドイツにある、ドイツで3番目に大きな都市です。戦争で徹底的に破壊されましたが、ミュンヘンの人たちは、昔の建物が好きだったので、おなじデザインで建物を作りなおしました。だから、ミュンヘンの町は、いまでも古い町並みがのこっています。 |
8月になって、森定さんはドイツへ旅立ちました。単身赴任(たんしんふにん)ではありません。“マダム森定さん”こと慶子さんと、愛犬のロボ君がいっしょです。
海外旅行をするとなると、いろんな準備をしなければいけません。なのに、『都会のトム&ソーヤ』の原稿にかかったぼくは、
「え、ドイツ? ……それって、おいしいの?」
というくらい、現実がわからなくなっていました。
今回の『都会のトム&ソーヤ』は前後編にしてもいいということで、前編を<理論編>、後編を<実践編>という構成にすることにしました。
で、<実践編>の原稿を書きはじめたのですが、おそろしいことに、書いても書いても終わらない。予定では、ひと月ちょっとで書きあげ、残った日数でドイツ行きの準備をするつもりでした。
それが、しめきりが来ても、物語が終わらない。(正直なところ、話が半分も進んでいませんでした。)
どれだけ書いても書いても終わらない。300枚を超えた時点で、8月が終わりました。
9月に入ったら、いろいろ出張の予定が入ってました。
12日と13日に、大阪と東京でサイン会。最初の計画では、この時点で原稿は終わってるはずでした。もちろん、終わりませんでした。
18日は、講談社児童文学新人賞の授賞式。今年は第50回ということで、ぼくも招待してもらいました。(ぼくは、第30回の受賞者なんです。)
児童文学新人賞の授賞式は、児童図書第1出版部と幼児図書出版部が主催して行われます。ちなみに、『都会のトム&ソーヤ』は、児童図書第1出版部から出してもらってます。
つまり授賞式に行くということは、『都会のトム&ソーヤ』の担当編集者の塩見さんや阿部部長に、必ず会ってしまうということです。
原稿ができてない物書きは、編集さんから逃げたいものです。なのに、みずから、虎(とら)の口に飛びこむようなまねをしなければいけなかった気持ち、わかっていただけるでしょうか?
え? はやく原稿を書いてりゃ、そんな思いをしなくてもよかった? ──はい、おっしゃるとおりです。
「とにかく、シルバーウィークが終わるまでに書きあげてください。それが、最終しめきりです。」
塩見さんに言われ、ぼくは頭をさげるしかありませんでした。
シルバーウィーク。
2人の息子たちが、後で聞かせてくれたのですが、友達は家族と出かけたり楽しく過ごしたそうです。
ぼくは、地獄でした。1人で部屋にこもり、パソコンのモニタとにらめっこしてました。それにしても、この世でにらめっこが一番強いのは、パソコンのモニタですね。やつらが笑ったのを見たことありません。
シルバーウィークが終わる1日前、80枚書きました。
シルバーウィークが終わる当日、70枚書きました。
それでなんとか塩見さんに約470枚の原稿を送って、ぼくのシルバーウィークは、終わりました。
ちなみに、「YA! エンターテイメント」の本は、350枚でも長すぎるといわれます。どうなることか……。それは、神の味噌汁!
この段階で、ドイツ行きまで1週間を切ってます。
準備は、なにもできてません。パスポートが手元にあるのだけが、さいわいです。
高島さんからは、トランプゲーム──『ドボン』の高島版公式ルールブックを渡されてます。(ルールブックは、後で紹介します。ぜひ、遊んでみてください。おもしろいですよ!)
このドボンが、後にたいへんなできごとのきっかけになるのですが、そのときのぼくも高島さんも知るよしもありませんでした。
荷づくりにかからないといけません。
でも、そんな余裕がありませんでした。
25日の金曜日の夕方、『都会のトム&ソーヤ』の担当の塩見さんからメールがありました。それには、原稿の修正ポイントが書いてありました。
つづいて電話。
「いろいろ修正点を書きましたが、ひとことでいえば、『長すぎる』ということです。」
![]() |
この原稿もなかなか前に進みませんね。ドイツに行くのはいったいいつになるのでしょう? |
「<理論編>を、さらに<理論編1>と<理論編2>にわけるのは、どうですか?」
「じょうだんはともかく、月曜日の朝までに直してください。」
……じょうだんにされてしまいました。
ぼくは、塩見さんにききました。
「月曜日の朝から、ドイツに出発するのですが、ごぞんじですか?」
「知ってます。だから、月曜の朝までに直してほしいと言ってるんです。」
「できなかったら、どうなりますか?」
「おそろしい現実が待ってます。」
「……がんばります。」
電話を切ったぼくは、修正点が書かれたメールをプリントアウトし、すぐに仕事にかかりました。
荷づくりを自分ですることは、あきらめました。
奥さんにたのみこんで、スーツケースに荷物を入れてもらいました。
1週間以上の長旅です。着がえだけでも、大量に必要です。でも、たくさん持って行けば、それだけ荷物が重くなります。
奥さんが、洗濯洗剤を小分けして入れてくれました。
ほかにも、傘やエコバッグ、つめ切りなどこまごました品物をつめてくれました。
とてもありがたかったです。
ぼくが用意したのは、お守りがわりのナイフと、好きなラジオ番組を入れたiPod。あと、メモ帳がわりのmp3レコーダーぐらいです。
こうして旅じたくを奥さんに丸投げし、ぼくは原稿の修正作業に没頭(ぼっとう)しました。
日曜日から日付が月曜日に変わろうとするころ、なんとか修正作業が終わりました。
「燃えたよ……燃えつきたよ……。」
そんなことを言って、真っ白な灰になってる時間はありませんでした。出発まで、10時間を切ってます。
この期(ご)におよんで、荷物の点検やドイツ語の勉強などしてもむだです。
できるだけたくさん寝て、体力を温存することにしました。
ぼくは、外国語が苦手です。日本語もあまり得意な方じゃないのに、異国の言葉が話せるわけありません。
英語の単位を取るのに、大学卒業ギリギリまでかかったという実績を持ってます。
ドイツでは、ドイツ語が話されます。ぼくが知ってるドイツ語は、「だんけしぇーん」だけです。(ちなみに、意味は「ありがとう」です。)
この状態で外国へ行くのは、いまになって思うと、かなりむぼうなのではないかと思います。
そこで、ドイツ語の本を買いました。CDつきの、すぐれものです。なにより、発音がカタカナで書いてくれてあるのがうれしいです。
この本を読んで、ドイツ語を話せるように勉強しようと思いました。思いはしましたが、本を持ってると、安心してしまいますね。結局、なにも勉強しませんでした。(試験前に参考書を買って、それだけでとても勉強した気になってしまった経験のある人、手をあげて!)
しかし、すべての旅行日程を終えたいま、かなり後悔しています。もっとドイツ語を知っていたら、よりたくさんの人と話をすることができたのにって……。
ちゃんとした文法で話す必要はないと思います。せめて簡単な単語だけでも知っていたら、旅の思い出も増えていたことでしょう。
これから外国へ行かれるみなさん、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」の3つだけでも、現地の言葉で話せると、より楽しい旅になりますよ。
少なくとも、日本語と少しの英語、あとは度胸だけで旅を終えるよりはずっといいと思います。
![]() |
はやみねさんの度胸は、立派でしたよ……。(編集 森定) |
月曜日の朝、いつもより早起きして、パスポートの確認をしました。外は、はげしい雨です。
出国前の最後の食事。いつもどおりの味噌汁とご飯。
「ひょっとすると、これが日本で食べる最後の食事になるかもしれない。」
そんなことを考えながら食べました。どんな不測(ふそく)の事態が起こり、日本へ帰ってこられないかもしれない。そんな不安がありました。
身じたくをととのえ、家を出るまでに10分ほど時間があったので、子供たちと卓球をしました。
余談ですが、我が家には卓球台があります。
なぜ、そんなものがあるのか説明すると少し長くなるのですが、旅じたくもすんだので書かせてもらいます。
家の近くに、温泉施設があります。(これは、ぼくが最後に勤務していた小学校で、廃校になってから校舎を温泉施設に改装したのです。)
温泉には、卓球がつきものです。この温泉施設にも古い卓球台が1台あり、受付に言えば自由に使えるようになっていました。
そのことを知った我が息子2人は、夏祭りのころから、ひまがあれば卓球をしに温泉へ行くようになりました。
「だれかが使ってたら、おとなしく帰ってくる。順番待ちの人があらわれたら、おとなしく帰ってくる。」──この2つは、かならず守るように言ってました。
しかし、いつまでも温泉施設にあまえてるわけにもいきません。
9月に入ったころ、思いきって卓球台を買いました。
一番こまったのは、置き場所です。たたみ2枚よりも場所をとります。そのため、台を使うときは、車を車庫から出して、できたスペースに設置するようにしました。
よろこんだのは、2人の息子だけじゃありません。中学のときに卓球をやっていた奥さんと、運動不足を解消したいぼくも、卓球に夢中になりました。
映画『ピン☆ポン』のDVDを何度も見かえしました。卓球をやるときのB.G.M.は『ピン☆ポン』のサウンドトラックです。
卓球台を買ってからドイツへ行くまで、約3週間。我が家族は、毎日毎日、ラケットをふりつづけました。
息子たちとの卓球を終え、ぼくは車に乗りました。助手席には、奥さん。
「父さんがいないあいだ、家のことはたのんだぞ。」
息子たちには、そう伝えました。でも、心の中では、
「もし父さんが帰ってこなくても、強い男になるんだぞ。」
と言ってました。もっとも、その気持ちが息子たちに伝わったかは、わかりません。
駅について、車からスーツケースを降ろしました。奥さんの、
「気をつけて。」
という言葉が、脳内で「ご武運を──。」に変換されます。
ここでの返事は、「うん。」ではダメです。
「うむ。」
これでないと決まりません。
ぼくは、駅舎に入ります。その間、一度もふりかえりません。ふりかえってはダメなのです。
列車が来るまで、あと数分──。
いよいよ、旅立ちの時です!
ぼくは、改札口で駅員さんに切符を見せました。
駅員さんは、切符を見て言いました。
「ああ、大雨で列車が止まってるんだわ。いつ復旧するか、わからんなぁ。」
「…………」
雨音が、急にはげしくなったような気がしました。
![]() |
そのときぼくは、南ドイツの都市、ミュンヘンで、はやみねさんが到着する日を一日千秋の思いで待っていました。感動の再会の日は、はたしてやってくるのでしょうか? ぼくの心に一瞬暗い影がよぎったことを、けっして否定はできませんでした。 (編集 森定) |
<つづく>

































































