
──というようなことが、調べたらわかりました。
でも、そのときのぼくは、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれたことも知りませんでした。
1993年の1月1日午前0時に分かれたそうですが、当時、我が家に回ってきていた回覧板に、そんなニュースは書いてありませんでした。(知らなくて当然だと、自分を正当化しています。)
だいたい、
「ミュンヘンの次は、プラハへ行きます。」
と森定さんに言われ、プラハはドイツの都市だと思っていたくらいです。
「子どもたちが興味を持って見学できるように、事前学習をきちんとしよう。」
そう考え、法隆寺や大仏など、見学場所を調べたりしました。その結果、子どもたちは主体的に修学旅行に行けたのではないかと思ってます。
で、そのときのぼくは──。
事前学習、0。(やってもよかったのですが、そんなことをすれば原稿が完成せず、ドイツへ行く時間もなくなり、結果的に事前学習が無駄になったでしょうね。結論:事前学習をしてはいけなかった。)
社会的常識、0。特に、地理・歴史分野が弱い。(教員採用試験を受けるまで、北アメリカ大陸は、すべてアメリカ合衆国だと思ってました。)
こんな人間は、森定先生のあとをカルガモの子どものようについていくしかありません。
海より深く、反省します。
というわけで、波瀾万丈の国境越えを終えたぼくらは、プラハのホテルグリーンロブスターという、おいしそうな名前のホテルに着きました。
急な坂道の途中に建っている、一刻館のようなホテルです。
ぼくの部屋は、304号室。とても広い部屋です。ベッドも、開脚前転から倒立前転の連続技ができるくらいです。
むきだしの太い梁(はり)の間を、白い漆喰(しっくい)でうめてあります。天井の隅には、いくつかクモの巣。そなえつけの家具は、かなり古い年代物で、気をつけて開けないとこわしてしまいそうでした。
全体的に薄暗く、屋根裏部屋のような雰囲気の部屋です。
「わざと汚れた感じにして、泊まった人に、レトロなヨーロッパの雰囲気を味わってもらおうという考えだな。」
そう思ったのですが、あとで高島さんの部屋の写真を見せてもらったら、とてもきれいな部屋でおどろきました。お付きの人が寝る小部屋までついてたそうです。
もう一つ、ホテルでおどろいたことがあります。
それは、赤いじゅうたんがしかれた、せまいらせん階段です。
とても急な階段で、段と段の間に、40センチほど高低差があります。ひざげりする感覚で足を上げないと、上の段に足をかけることができません。
──この階段を楽々登るとは、プラハの人は、どれだけ足が長いんだ……。
ぼくのほおを、冷たい汗が流れました。
ホテルの前の坂は、タイル状の石がしきつめられた道路。役所の人か専門業者の人かわかりませんが、石が欠けてるところを直してました。
この坂を登ったところに、プラハ城があります。
えっちらおっちら九十九(つづら)折りの坂を登り、城の前に着くと、そこは広場になっていて、プラハの街が一望できます。
赤茶色の屋根がデコボコに続いてるのを見ると、小学生の時に読んだ『キツネの名探偵』という本のさし絵を思い出しました。ちなみに、『パンケーキ』という食べ物があることを知ったのも、この本です。
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その昔、神聖ローマ帝国だった国には、(ドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・スロバキア・ユーゴスラビアなどなど)パラチンケという、ジャムのかかったパンケーキがあります。おいしかったですね、はやみねさん! おぼえてますか? (編集 森定) |
「城を見学した後は、あの緑色の屋根が見えるところにかかってるカレル橋に行きます。」
常に前向きな森定さんが、はるか彼方に見えるタマネギみたいな緑の屋根を指さします。いま、急な坂道を登ってきた疲れなど、少しも感じさせません。
「…………」
ぼくは、その距離を目算します。
普段、ぼくは部屋にこもって仕事してます。一日100歩くらいしかあるかないんじゃないでしょうか。
歳を取りそうな答えが、出ました。
「歩くんですよね?」
ぼくの質問に、森定さんは。当然だという顔でうなずきます。
「はやみねさん、たっぷり寝たから元気でしょ?」
──おれたちは、おまえが寝てる間、とっても苦労してたんだぜ。
森定さんの、心の声が聞こえてきます。
ここで、「ぼくは、ぼくなりに戦ってたんですよ。」と言えるほど、強い男じゃありません。
「は……はい。」
力なくうなずくと、ぼくらは城の門に向かいました。

撮影:青い鳥文庫編集部 高島
──くすぐってみたら、動くんじゃないだろうか?
そう思ったのですが、怖いことになりそうなので、止めました。
門を通ったところは、また広場。
正面に、巨大な聖ヴィート大聖堂がそびえ立ってます。
東京へ行ったとき、背の高いビルをいくつも見ます。そのときにも「大きいなぁ。」と感心しますが、ヨーロッパで見た石造りの建物には、大きいと感じる以上に、頭を下げるしかないと思わせるものがあります。
日本にも、ヨーロッパの建物を真似た結婚式場やホテルなどがありますが、風格が全然ちがいます。本物のカニとカニかまぼこのちがいと言えば、わかりやすいでしょうか?(──いま、「よけいに、わからん!」という声が、多数聞こえました。すみません。)
外国の人が、日本の寺社仏閣を見たとき、どんなことを思うのでしょうね?
聖ヴィート大聖堂の周りには、中に入るために多くの人がならんでます。そのため、ぼくらは先にほかの建物を見学することにしました。
「プラハに来た最大の目的──錬金術師の建物を見ましょう。」
森定さんが、言いました。
──そういや、そんな話があったな。
すっかり忘れてたのですが、
──ようやく錬金術師の建物が見えるんですか! 待ってました! これで、旅の目的が達成できますね!
という気持ちを顔に浮かべ、ぼくはうなずきました。

“錬金術師”というと、みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか?(ここで、錬金術師関係のマンガネタを書こうかとも思ったのですが、講談社以外のものが多くなりそうなので、自粛〔じしゅく〕します。)
“あやしげ”というイメージを持ってたのなら、思いっきり、そのイメージをふくらませて、次からの文章を読んでください。
礼拝堂を通り過ぎ、「黄金の小道」という名の路地に入ります。ここにある建物の中で、昔、錬金術士たちが実験を行っていたそうです。
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その昔、ルドルフ2世という神聖ローマ帝国の皇帝は、プラハのお城に、ヨーロッパ中の錬金術師をあつめて、実験をさせていました。なんの実験かって? それはもちろん、鉄や鉛を金にかえる実験です!(編集 森定) |

撮影:青い鳥文庫編集部 高島
その中の一軒──青く塗られた本屋さんは、作家のフランツ・カフカの妹さんの家でした。カフカは、原稿を書くために、その家に通ったとのことですが、
「なぜ、青色なんだろう?」
──その謎で、ぼくの頭はいっぱいでした。でも、この不条理さがカフカなのでしょう。(←無理矢理結論づけてますが、きっとまちがってます。)
ぼくは、この黄金の小道で、オシャレなひものしおりを買いました。いまも、愛用してます。
路地が終わったところには、あなぐらがありました。錬金術の大がかりな作業場なのでしょうが、なんの説明もなく見せられたら「牢屋(ろうや)」と思うようなあなぐらです。
錬金術関係の物を見てから、いよいよ大聖堂や教会を見たのですが──。
建物の内部が広い! 天井が、遠いところにあります。どうやって、すすはらいをするのか謎です。
そのうえ、部屋と部屋が似ている上にろうかが入り組んでいて、まるで迷宮に入ったような気分になります。案内の立て札に矢印が描かれてるのですが、どうも、その矢印が信用できない。何度も何度も、おなじ場所を行ったり来たりする……。
──はっ! これは、「ホフ」の呪い……。
そんなことを思ってしまうくらい、プラハ城の建物は巨大迷路でした。

午後からは、お城を出てプラハの街へ。
石畳(いしだたみ)の道を歩いていると、ヨーロッパの街に来たんだという思いが強くなります。それが、風呂敷包みを持った、どこから見ても東洋人のぼくでもです。
洋楽でも口ずさみたくなるような気分です。残念なことに、ぼくは「いえすたでぇ〜」と「ほってるかるふぉ〜にあ」の部分しか知りません。
高島さんを見ると、楽しそうに単眼鏡と3Dデジカメと普通のデジカメを操作してます。音楽にくわしい高島さんは、きっと心の中で「YESTERDAY」を歌ってるにちがいありません。

撮影:青い鳥文庫編集部 高島
「どうして橋なんか見るのだろう?」
ぼくだけでなく、あなたもそう思うかもしれません。でも、この橋がすごかったのです。
10メートルくらいの幅の石橋。長さは、500メートルくらいでしょうか。歩行者専用の橋で、左右の欄干(らんかん)には聖人の像がならんでいます。
ある像には、“さわると幸運がおとずれる”というレリーフがついていました。しっかりさわってきました。
いま、ぼくが幸せなのは、このレリーフをさわったからだと思います。
しかし、最も目をひくのは、似顔絵売りやCD売りの人たちと、その間をすりぬける観光客の多さです。商店街の夜店を、お昼に橋の上でやっている──こんなイメージです。
ぼくは育ちのせいか、海や川へ行っても、橋や堤防には目がいきません。いつも見るのは、岩場や波の様子、集まってる鳥の数などです。そんなぼくが、川を見ずに橋の上ばかり見てたのですから、どれだけにぎやかだったかわかってもらえると思います。
また、石畳の上をトコトコ歩くヨボ君(仮名)は、観光客から注目を浴びてました。写真を撮ってもらったり、なでてもらったり──。
ぼくは、考えます。
「欄干の上に、ヨボ君を置く。『なでると幸福になれる“幸運のチワワ”』という札と空き缶を、ヨボ君にかける。チェコ語、英語、ドイツ語、フランス語で書けば、たくさんユーロが集まるだろう。」
ぼくの頭の中で、ぬれ手にアワがひっつきます。
心の中で、ヨボ君に話しかけます。
「一口乗らないかい、相棒?」
すると、ヨボ君は右側の犬歯をチラリと見せました。

大きな瞳が、そう言ってます。
ヨボ君の年齢を人間に換算すると、ぼくよりはるか年上になります。ぼくは、犬生経験豊富なヨボ君に、心の中で「師匠!」と頭を下げました。
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ヨボは8歳なので、人間でいうと50歳といったところでしょうか。(編集 森定) |

カレル橋を渡ったところは、プラハの旧市街。
橋の上も人がいっぱいいましたが、ここも、とてもにぎやかで、やかましかったです。
そのときの音声ファイルを書き起こしてみます。
昔のものも新しいものも日本のものも、いっぺんに見ることのできる、とても元気な街です。
ユダヤ人街にも行き、第二次世界大戦の大量虐殺で亡くなったユダヤ人の墓石や、大量の名前がきざまれた建物を見ました。
せまい墓地。固い地面から、墓石が折りかさなるようにつきでていました。
異国の言葉で書かれた説明文。読むことはできませんでしたが、さけびだしたくなるような哀しさを感じました。
こう思ったのは、ぼくだけじゃないです。なのに、いまも戦争は終わることなく続いています。
なぜか……?
ぼくは平和主義者ではなく相互主義者なので、相手がなぐりかかってきたら戦います。もし相手がキバをむいても、だまって殺される覚悟ができたら、戦いはなくなるのでしょうか? ずっと考えてるのですが、なかなか答えが出ません。
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ユダヤ人の教会、シナゴーグは、第二次世界大戦の記憶がきざみつけられた建物でした。戦争がおきるはるか前には、ユダヤ人の教父が、シナゴーグの屋根裏部屋で、土塊から人造人間ゴーレムを作ったりもしていたのですが……。 |
<つづく>
































































