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2009年10月15日更新
清水義範の「学校よりおもしろい社会科」
みんなは、「社会」の授業って、おもしろいかな? 暗記が多くて苦手とか、よくわからなくってむずかしいっていう人もいるんじゃないかな?
でも、ほんとうは、社会って、みんなの暮らしすべてのことをいうんだよ。テストにはでなくても、テレビドラマ「天地人」の武将の名前も社会だし、夕ご飯のお肉はオーストラリアから来たんだってわかるのも、社会なんだ。
そんなわけで、「テストにはでなくてもおもしろい社会科」っていうのを、清水義範先生といっしょに楽しんでみよう!

清水義範の「学校よりおもしろい社会」
この連載が本になりました!

『清水義範のイッキによめる! 学校よりおもしろい社会』
清水義範/作 西原理恵子/絵

青い鳥文庫サイトの好評連載が本になりました! 
歴史や地理を、おもしろ授業で語りつくします。あなたの好奇心を刺激する、読んでおもしろい社会科の本が登場です!

小学中級から
定価:1050円(税込)

「学校よりおもしろい社会科」の先生
清水義範/文
1947年、愛知県うまれの小説家。たくさんの大人向け小説や日本語に関する本を書くかたわら、『おもしろくても理科』『どうころんでも社会科』『いやでも楽しめる算数』(いずれも講談社)といった楽しい学問の本も書いています。

西原理恵子/絵
まんが家。清水義範先生とコンビを組んで、さし絵を描いた本も多数。新聞で連載している「毎日かあさん」はテレビアニメにもなっています。
「学校よりおもしろい社会科」の先生
「学校よりおもしろい社会科」時間割
一時間目 社会科のおもしろさってなに? 前編 2009年 7月15日掲載!
後編 2009年 8月14日掲載!
二時間目 米はどこからきたのか? 前編 2009年 9月15日掲載!
後編 2009年 10月15日掲載!
三時間目 邪馬台国はどこにあったのか? 前編 掲載終了
後編 掲載終了
四時間目 道はどうしてあるのか? 前編 掲載終了
後編 掲載終了
五時間目 山があると何がおこるか? 前編 掲載終了
後編 掲載終了
六時間目 ユートピアはどこにもないの? 前編 掲載終了
後編 掲載終了

「学校よりおもしろい社会科」時間割
さあ、「学校よりおもしろい」授業のはじまり、はじまり〜
「学校よりおもしろい社会科」の先生
二時間目「米はどこから来たのか?」 後編
◆縄文時代と弥生時代
 日本に米栽培(別の言い方をすれば、稲作)が伝わったのは、弥生時代ということになっている。どんな本を見たってそう書いてあるはずだよ。
 弥生時代というのは、紀元前400年ごろから、紀元後300年ごろまで続いた、日本の各地に稲作をしている集落があった時代だよ。
 そうだな、弥生時代がどんな時代だったのかを知るために、その前はどんな時代だったのかを考えることにしよう。弥生時代の前はどういう時代なのか、誰かわかる人はいるかな。あ、海野さんにはわかるのか。答えてみて。
海野さん 弥生時代の前は縄文時代だと思います。
 うん、その通りだ。弥生時代の前は縄文時代だね。それはまあ、きいたことがある人が多いかもしれない。

 さてそこで、縄文時代と、弥生時代のちがいを考えていこう。時代の流れというものはさ、どこかに区切りがあるわけじゃなくて、ずーっとつながっているじゃない。だから人間はさ、さあ今日から新時代だぞ、なんて思うことはなくて、ただ毎日を生きてるだけだよね。なのに、どうして、ここまでが縄文時代、ここからは弥生時代、なんてふうに区別できるのか、考えてみれば不思議だよね。だから、どういうことでその二つの時代を分けているのかを、知ってみよう。

イラスト1  普通にはね、その二つの時代では、使われていた土器がちがうとされているんだ。と言うのはそもそも、縄文と弥生という言葉は、土器の種類の名前なんだよ。
 紀元前1万2000年から、紀元前400年ぐらいまでの間、日本の各地では、ぶ厚くて、表面に縄を押しつけた模様のある土器を作っていたらしくて、遺跡から出土するんだ。その土器のことを、縄目の模様だから、縄文土器と呼ぶわけだね。
 それに対して、紀元前400年ごろから紀元後300年ごろまでは、薄くて、かたくて、表面がつるりとしている土器が作られて、それが遺跡から出土する。そういうもののひとつが、今は使われていない町名だけど、東京都文京区の弥生町というところから出たので、弥生土器と名づけられたんだ。
 確かにその二つの土器を見てくらべてみると、縄文土器のほうが原始的というか、できが悪いんだ。ぶ厚いし、焼いた時の温度が低いらしくてやわらかくてモロいんだよ。弥生土器のほうが形もすっきりしているし、薄くてかたくて、こっちのほうができがいいな、という気がするよ。

 でも、そういう土器のちがいが、二つの時代を分ける最大の理由ではないんだ。土器のちがいよりも、その二つの時代を区別するいちばんのポイントは、弥生時代には稲作をするようになった、ということなんだ。先に、発見された土器に名前がつけられていたので、そこから時代の名前をつけちゃったんだけど、いちばん大きなちがいは、稲作をしていなかった時代と、それをするようになった時代、という点なんだね。
 稲作、つまり米を作るようになったということは、人々の生活をとても大きく変えたんだ。だからそのことで時代を区切っているんだね。

 ただし、縄文時代は何の文化もない原始的な時代だった、とまでは思わないほうがいいらしいよ。最近の遺跡の発掘や研究によって、縄文時代も後期になってくると、そこそこ文化があったらしい、ということがわかってきているんだ。
 まず基本的なことを言うと、縄文時代の人は狩猟と、食べられる植物の採集をして食べていた。ここでは、稲作のなかった縄文時代の人が食べていたもののことを考えてみよう。

イラスト2  まずは、木の実が重要だ。クリ、クルミ、ドングリ、シイノミなどをとって食べていた。遺跡からは、ドングリから作ったクッキーのようなものも出土しているんだよ。
 ほかに植物では、ユリ根、ヤマノイモ、キノコなんかもとって食べていたに違いない。
 そして動物だ。獣や鳥をつかまえて焼いたりして食べたことは確実だね。縄文時代の遺跡からは、石で作った矢じりが出てくるんだよ。つまり、縄文人は弓矢を持っていたってことだ。それで、イノシシ、シカ、ノウサギなんかをつかまえて食べていたにちがいない。いろんな鳥も食べただろうね。
 それから、海や川でをとって食べたことは確実だ。縄文時代には丸木舟もあったからね。魚の中でも、毎年川にうじゃうじゃとのぼってくるサケはとてもありがたい食料だっただろうな。
 そして、カニやエビも食べた。貝も大いに食べた。貝を食べるとカラが大量に残るよね。それを縄文人はゴミすて場みたいなところにまとめてすてたんだけど、そういうゴミすて場が、貝塚という遺跡になって出てくるんだよ。貝塚を研究していくと、縄文人の生活がいろいろわかってくるんだ。

 そういうわけで、縄文時代にはまだ稲作をしていなかったので、人々は狩猟などによって食べるものを手に入れていた。でも、ものすごく原始的だったわけではない。最近の研究で、縄文時代の後期には、クリの木の、実の立派なものを選んで植えてたことがわかってきて、一種の原始的な農業をしていたと言われている。それから、船を使って遠い地方と交易、つまり商売の取り引きをしていたこともわかってきているんだ。縄文人にも文化はあったんだね。縄文人は古代人で、弥生人は文化を持ったまるで別の人、なんていうふうに分けて考えることはもうしなくなっている。その二つの時代を分けているのは、稲作、という文化を持っているか、いないかだけだと考えるんだ。
 とはいっても、稲作、という文化を持つというのは、ものすごい大変化なんだけどね。
◆稲作という文明が中国から伝わった
 さて、稲作はどこから日本へ伝わってきたのだろう。つまり、米はどこから来たのか、だ。
 世界で、米を主食とするグループはどこにいたか、という話はもうしたよね。東南アジアや、中国南部、インドなどで米は食べられているんだった。
 だからまあ、日本へは中国から米が伝わってきたと考えてまずまちがいがないだろう、と言われているんだ。ただし、どこを通って伝わってきたか、についてはよくわかっていなくて、いろいろな説があるんだよ。だいたい次の三つのルートが考えられている。
  • 中国南部の米が、硫球諸島を通って九州南部に伝わった。
  • 中国南部の米が、対馬海流にのって(つまりそこを行く船にのせられて)直接九州北部に伝わった。または、まず朝鮮半島に伝わり、そこから北九州に伝えられた。
  • 中国南部の米が、じわじわと中国北部にも伝わり、朝鮮半島にも広がり、それが九州北部に伝えられた。
 というわけで、もともとは中国の南部で作られていた米が、どれかのルートを通って九州に伝わったのだろう、というのが考えられている説だよ。

イラスト3  稲作が伝わってくる、というのは具体的にはどういうことなのか、というのを想像してみよう。それはやっぱり、人が来て、こういうものを作るとよいぞ、と教えてくれたってことだろうね。おそらく朝鮮半島から、稲作のことをよく知っている人が大勢やってきて、作り方を指導してくれたんだろうな。
 わかってほしいんだけど、稲作というのはその時代にしてみれば、ものすごい文明なんだよ。つまり、最先端テクノロジーが伝わってきた、みたいなことなんだ。
 たとえば稲作をするためには水田がいるよね。どこも同じだけ水につかっていなきゃいけない水田を作るってことは、土地を水平にならさなきゃいけないってことだよ。それは大工事で、一人や二人の力でできることじゃない。村じゅうの人間が協力しなきゃいけないよね。そして、その水田に水をはるためには、水路を作って、川から水を引いてこなくちゃいけない。それもものすごい土木工事だよ。
 稲作が始まったっていうのは、そういう大工事をみんなで協力してやるようになったっていうことで、それまでとは生活が大きく変ってしまうんだよ。その大恋化をなるべく想像してほしいんだけどね。

 さて、日本に稲作を伝えた人たちは、稲を持ってきたんだろうか。そうだろう、と考える学者もいる。持ってきて、これを作ろうと教えてくれたんだとね。
 でもちがう考え方をする学者もいて、日本にも野性の稲が雑草として生えていたのではないか、と考えるんだよ。雑草の中の一本の草を指さして、これを水田に作って改良していけばうまい米がとれるんだ、と教えてくれたってわけだね。
 そのどちらが本当かはよくわかっていないんだけど、ひょっとしたらどちらも本当にあったことかもしれないね。とにかく、紀元前400年ごろから日本人は水田を作って、稲を生産するようになっていったのだよ。そしてそれが弥生時代のはじまりだ。

イラスト4  稲作は、かなりの速度で日本の東へと広まっていったんだそうだ。つまり、生活が楽になる文化はすぐ広まるってことだね。
 1世紀には近畿地方に、3世紀には関東地方にまで広まったというんだけど、いや、もっと早く広まった、と主張する学者もいるんだ。
 とにかく、稲作の伝来は、日本人を大きく変えていった。獲物をとって食べていた時代から、食料を農業で作り出す時代になったわけだから、大変化なんだよ。生活の様子が大きく変るし、村の中での人々の協力のしかたなんかもちがってくるわけだよね。

 これは世界のどの地方にもいえるんだけど、人間は農耕をはじめたことによって、人口がどっと増えたんだ。つまり、農業は人間にたっぷりと食料をもたらしてくれるんだ。多くがそれで食べていけるから、人口は自然に増えていくんだよ。
 そういうふうに、紀元前400年ごろに日本人は米と出会ったんだよ。そして弥生時代がはじまり、日本人の生活がガラリと変化していったんだ。

 そこで、そういう大変化の中で日本人がどうなっていったか、ということを、次の三時間目にくわしく見ていくことにしよう。それもおもしろい話なんだよ。
(二時間目 終わり)
「学校よりおもしろい社会科」の先生
食べるものが変わることで、生活や社会そのものが変わっていくって、いままで気づかなかったよね! きょう、みんなが食べるものはなにかな? お米やパン、おかずやお菓子が、いつから食べられるようになったのか、その歴史にも目をとめてみてね!
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