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BOOK倶楽部TOP書籍池内恵
「他者」の高みに立つことなく 「九・一一」の内的要因を探る―― 
池内恵
2002年2月号


 なんらかの事象の原因を探ってゆく時の、ごく通常の手続きを考えてみよう。まず内的要因と外的要因を抜き出してみる。その中から特に影響を与えたものとそうでもないものを選り分けてみる。そして、内外の要因がどのように複合して作用した結果、その事象が生じたのかを、考えてみる。
 アメリカの同時多発テロ事件についてもこの手続きを踏んで順を追って考えてみる必要がある。私の研究分野はアラブ世界の政治、特に宗教的な政治思想・社会思想なので、このたび上梓する『現代アラブの社会思想』では、主にアラブ世界の内的要因、その中でも特に思想的な要因を理解しようとした。
 このようにごく自然な問題設定にもとづいて書き進めたのだけれども、書き終わってから振り返ってみると、これまでの日本には類例のないものを書いてしまったという気がしている。別に自慢しているのではない。むしろ、テロを導いたアラブ世界に内在する要因について考察した書物が意外にも少ないことに、やや困惑さえしているのである。
 テロ事件直後から、ずいぶん多くのアラブや中東・イスラーム世界に関連する書物が出版された。十年前の湾岸戦争の時も同じような出版状況だったと記憶している(私はまだ高校生だったが……)。けれどもそれらを読んでみても、ビン・ラーディンやザワーヒリーといったアラブ人がなぜわざわざアフガニスタンに行って銃を持って駆け回ったり、何やら指令を出して若者を自爆しに行かせたりしたのかが、よく分からないのだ。彼等の置かれた環境や歴史的経緯、特にアメリカとイスラエルの政策を中心とした国際政治上の背景というのがよく解説されるのだけれど、肝心の彼等の内面を突き動かす原動力には触れられていない。「アメリカが悪いからこうなった」、と言いたげな議論も多い。主観による善悪の判定よりも、「なぜ・どのように」こんな事件が起きたかという疑問に答えて欲しいものである。
 通常なら歴史的経緯や国際政治という環境要因は、あくまでも内的要因とどのように関係し、影響し合うかという観点から論じられる。環境要因の方が特に重要だと主張するのであれば、少なくともその根拠を示すべきである。先験的に前提とするべきではない。
 例えば国際政治学者やアメリカ研究者が、アメリカの世界戦略という一つの外的要因・環境要因を指摘するのは分かる。けれども中東やアラブ世界の専門家までもがもっぱら外的要因に責を帰すのはいかがなものかと思う。外的要因が特に影響を与えているという証明が大抵はなされていないし、そもそも中東やアラブ世界の内在的要因を自分の専門知識にもとづいてまず提示するという最低限の義務を果すべきだろう。
 どれだけ国際政治の環境や歴史的経緯を並べ立てても、やはりテロに走る人々を内面から動かす要因を解明しなければ、事態は説明し尽くせない。いったいなぜ飛行機でビルに突っ込むような人物をアラブ世界は輩出するようになってしまったのか。その思想・感情的な必然性はどこにあるのか。このような自然な疑問に答えてくれる書物は、残念ながらこれまでほとんどなかった。

 アラブ世界の人々は今何を考えているのか。アラブ人の心理状態は、現在いかなる状態にあるのか。このごく素朴な疑問に答えるために、『現代アラブの社会思想』を書いてみた。
 私がこれまで行なってきた調査の方法は単純である。単純過ぎて恥ずかしいぐらいだ。アラブ世界に行ってアパートを借り、各地の本屋でありったけの本を買って担ぎ込む。テレビとビデオ、衛星アンテナを買い込み、各国の放送をビデオに録る。今回有名になった「アル・ジャジーラ」局も気に入っていた。並べて、見て聴いて読んで、全体の傾向を探る。その上で特に興味深いものを特定して集中的に分析する。
「現在」を記述するためにこの本で用いる方法も、通時的な分析と共時的な分析を組み合わせるという、これまたごく平凡な手続きである。第一部では通時的な叙述の中に現在を位置づける作業を行なった。いつを基点とし、どの方向に向かう流れの上の、どの地点にアラブ思想の現在はあるのか、という話である。基点として一九六七年の第三次中東戦争を置き、そこから生じた「アラブの苦境」とも形容される困難な時代の、思想的分極化に特徴づけられた時代相を描いた。分極化によって出現した急進左翼とイスラーム主義への動きが共に不本意な歴史の展開によって潰え、そこから「陰謀史観」や宗教的・超自然的な排外意識に満ち満ちた殺伐とした現在の思想状況を胚胎するまでの経緯を跡づけてみた。
 第二部では共時的理解、つまり今現在の思想史の断面を切り取ってみることにした。ちょうど良い資料が集まっていた。九〇年代にアラブ世界で爆発的に流行した「終末論」の文献群である。終末論書には、現代のアラブ世界が行き着いた思想的な袋小路が濃縮されて現われている。この資料の分析を念入りに行なってみた。現代の終末論書は、観念の重層的な堆積から成り立つ。ユダヤ・キリスト教から継承した終末論の象徴体系が基層を成し、『コーラン』や『ハディース』によってイスラーム教独自の発展が加えられ、現代に流入した陰謀史観やオカルト思想の要素が複合して、国際社会への憎悪の炎を妖しく揺らめかせている。その観念の堆積具合に、一枚一枚解説を加えてみた。
 これに現在のアラブ世界の社会意識・思想状況を報告したルポ風のエッセイを序章として加え、さらに前書きも付けてみた。最近の新書にしてはかなり重く濃いものになってしまったかもしれない。対象の性質上、仕方がないけれども。

 あらかじめお断りしておきたいのだが、この本は現代のアラブ思想が陥ってしまった思想的隘路を描いている。外国の思想を研究する時は、普通ならあまりネガティブな状況は書かないものだ。これまでの思想研究は、自らの夢や希望、理想を投影する対象として外国の思想に関心を持つという性格を持っていた。「隣の芝生が青く」見えるのは、それ自体悪いことではない。外部に目を開き、良質なものを吸収して自己を高めてゆく。
 しかしともすれば外国の思想は、自らが属する社会に対する批判の拠り所としてのみ尊重されるきらいがあった。「返す刀で日本の思想状況を斬る」といった関心が論旨の大半を占める場合が多かったのである。
「他者」の高みに立って「日本」や「西洋近代」といったものの問題性を指弾する思想的営為が是か非か、それは歴史の判定を待つほかない。しかしそれが対象地域の実際の思想状況を伝えるという意味でどれほど役に立ったか、と問うならば、答えは否定的にならざるを得ない。
「九・一一」が示すのは、「アラブ」も「イスラーム」も外部の思い入れに従って存在するわけではないという厳然たる事実である。それらは何も先進国の知識人の行き詰まりを打開したり、「オルターナティブ」となるために存在してくれているわけではない。 
 野心というほどのものではないのだけれど、私は思想研究を今後見直していかなければならないと思っている。研究者の内なる願望や理想を対象に投影するよりも、まず世界の隣人の等身大の姿を知り、世界の各所で沸き起こる雑多な想念の存在を認識しておく。このような意味での思想研究が、死活的な重要性を持つ時代が来てしまったのではないか。それは決して幸福な時代ではないのかもしれない。しかし目を背けていれば時代の方から去って行ってくれるわけではない。予定調和を認めてくれない他者との間で対話の糸口を探るためには、行き詰まり、苦痛に身を捩る他者の姿も一度は直視しなければならない。その上で共有し得る地点を、こちらから提示してみる。受け入れられなければ間を置いて、また少し別のものを提示してみる。そのような文化的「交渉」を、細心の注意を払って行ない続けてゆかなければ、自分の身の安全さえ守れない。そんな時代が来たのではないか。
 この本がそのような新たな時代の要請に応じた思想研究の第一歩となることができたのか、それとも凡百の便乗本にまた一つを加えたに過ぎないのか、それは読者の判断に委ねることにしたい。
(いけうち・さとし アジア経済研究所研究員)