講談社BOOK倶楽部
講談社創業100周年記念企画「この1冊!」

  

書籍

新刊│一般書│
新刊│児童書│
新刊│文庫・新書│
試し読み
発売予定
先行予約
映像化情報
メールマガジン
講談社創業100周年記念企画「この1冊!」

文芸局
講談社ノベルス
講談社BOX
講談社文庫
学術文庫
X文庫ホワイトハート
絵本通信
青い鳥文庫
YA! ENTERTAINMENT
選書メチエ
ブルーバックス
現代新書
講談社+α新書・文庫
PICK UP

講談社メフィスト
豪華執筆陣のエンタメ最新作!
講談社の翻訳書
講談社の翻訳書 資料PDF公開!
佐伯泰英「交代寄合伊那衆異聞」シリーズ
新・幕末小説「交代寄合伊那衆異聞」シリーズ

奥右筆秘帳
人気沸騰!時代小説シリーズ「奥右筆秘帳」

学校・公共図書館のための講談社ブックガイド
児童書のセット製品(2012版)を一挙ご紹介!

あらしのよるに
シリーズ累計300万部突破!「あらしのよるに」シリーズ

獣の奏者
壮大なスケールで描き出す、大傑作の異世界ファンタジー。

ミステリーランド
かつて子どもだったあなたと少年少女のための――
講談社電子文庫
電子文庫パブリほかで購入できます!

小田実全集
小田実の全集、電子書籍版とオンデマンド版で創刊!

BOOK倶楽部TOP書籍金井美恵子
終りのためらい 
金井美恵子
2002年2月号


 ほぼ四年かけて「群像」に連載した、六百枚近い小説を八月に書きおえて、二校のゲラも校了となり、今は本の形となった『噂の娘』が手もとにとどくのを待つばかり、といった状態なのですが、こうした状態というのはいくらか奇妙なものです。
 もちろん、幾分かの解放感というものがないわけではないし、連載中、毎回欠かさずということでもなかったのでしょうが、読んでいてくださった知人は、完成を「おめでとう」と言い、しばらくは休息をとるんでしょうね、という意味のことを言ってはくれるのですが、私としては実のところ、小説が完成したことが「おめでとう」という言葉にどう結びつくのか、あるいは「しばらくの休息」という状態がどういうことなのか、よくわかりません。よくわからないながら、疲れているのは確かで、疲れていると気持がいささか苛立ち気味の方へ傾きがちですから、ほぼ四年かけて書きつづけ、書きつづけている間には、書きあげた分を何度も読みかえし、書きおえてからはゲラ刷りを含めて全体を何度も読みかえしたはずの『噂の娘』とは、一体、何だったのだろう、と、これは小説を書きおえた後でいつも起こる事態なのですが、いわば、悪夢に魘うなされるような不安に襲われる時間が、しばらく続きます。

 一九五〇年代後半の夏から秋にかけての何日間か、小学校の三年か四年生の〈私〉と弟は、遠い海辺の町で病気にかかって入院した父親の看病をするために夜行列車で出かける母親を見送り、母親の友人の美容室にあずけられることになり、〈私〉はうすうす、父親に愛人がいることを知っていて、その女の人は遠い海辺の町に住んでいて、もっと〈今〉より小さかった頃、山の上にある湖のホテルで、二人が会った時一緒にいたという記憶があります。一方、美容院に若い娘たちが何人も暮していて、店にやって来る客たちと噂話しをかわし、映画女優になることを夢見たり、本当の恋にあこがれたりしながら、平凡な忙しい日々を送り、扁桃腺が腫れて熱を出して寝込むことになった〈私〉に、美容院の娘たちの一人が読んできかせているらしい『秘密の花園』の物語は、小説の本筋とは関係なく、アジアの植民地で育った白人の少女を主題とする詩を書こうとしているイギリス人の軍人で詩人の登場人物を派生させたりしてしまうのですから、『噂の娘』は、一種、やはり畸型的な小説なのです。
 一九五〇年代後半といえば、まだ「戦争」の記憶は生々しくて、しかも、大学生は今と同じように物知らずで馬鹿だったらしく、教育実習にやって来る学生は、私の父親が亡くなっているのを知ると、戦死なさったの?と訊くのでしたが、自分が実習しているクラスの生徒が昭和二十三年と二十二年生れだということを知らなかったのでしょうか。
 いずれにせよ、〈私〉と弟が何日間かあずけられることになった家は、地方の小都市の商店街にある美容室で、女だけの世帯です。なぜ、〈私〉と弟の二人の子供が一時的にあずけられる家が美容室なのかと言うと、作者にはそういう経験はなかったにしても、美容室という空間が――実際に、髪のカットと白髪を染めるために行くのは、面倒臭いし、肩が凝るし、しかたなく、みだしなみのために行くという気分なのですが――ほぼ絶対的に好きだからで、ずっと長いこと、美容室を舞台にした小説を書きたいと思ってました。地方都市の、店と住居が同じ建物になっていて、男気というものがなく、石竹色のエナメルで爪を染めた若い娘たちがいて、奥の住居に通じる扉から、煮魚やみそ汁の匂いが流れて来て、見習い美容師の娘が急に店をやめてしまい、商店街から少し離れた飲食店街のキャバレーづとめにクラがえした、というようなことを、店の美人で木暮実千代に似ていると言われる、マダムと客が話しているような(『東京物語』の杉村春子ではなく)店の話しを書きたいと思っていたのでした。
 書きおえたばかりの『噂の娘』の作者としては、この小説の別の主題について語っても、かまいはしないのですが、しかし、ここでは、書きおえるということはどういうことなのかについて、少し書いてみたいのです。今、この原稿を書いている机の上に、というか、ほぼ二十枚程重なっている白紙の原稿用紙と机の間に、丁度下敷のように二枚のボール紙が置いてあって、それには『噂の娘』を書きはじめる前に作った、架空の商店街の地図と美容室の間取り図が描かれていて、雑誌に掲載された小説のぬき刷りの束と手入れ用と構想のメモの束が、茶色い紙製の書類整理用の箱に入ったままで、メモには、書く予定だった幾つかのエピソードのあらましが記されているのですが、いろいろな理由で使わなかった物がかなり含まれています。
 長篇小説を書くたびに、そうしたことはいつでもあることで、寝そべってテレビをぼうっと見ながら思いついたらしく、同じメモの隅の方に、テレビの料理番組を見ながら書いたレシピのメモや、通信販売のスチーム式掃除機の電話番号が書いてあったりもするのですが、読みかえしてみると、メモに書きとめておいたことは、ほぼ、あまり良く意味がわかりません。意味というより、その時に思い浮かんだエピソードなり、ある何かについての描写の元になるはずのイメージなりが、短い幾つかの言葉で走り書きされているだけなので、実感が沸いてこないのです。
『噂の娘』の古い部類のメモには、
「『新ドイツ零年』――年老いたレミー・コーション、の住む美容室の二階の部屋、スパイを導入?『柔らかい土をふんで、』の続篇の方に?クリスマス→七夕」と、書いてあったのですが、なんのことやら、何を考えていたのか、わかるような、わからないような気がします。
 中には、なぜ、これを書きこめなかったのだろう、と悔やまれるメモもあって、しかし、書きこめなかったからこそ、まだ書きつづけることが出来るのだ、と言う気もするのです。
 六百枚近い、ということは、いくらか長い小説の最後の一行を書くのは、なんというか、一種の勇気が必要なのですが、この小説は、どのくらいの長さになるにしても、書きはじめた時から、最後の二つのフレーズは決っていたのでした。もしかしたら、そのことが、四年かかって書いてきた小説を書き終えたことに対して、本当はそれはまだ書き終えてなどいないのではないか、という、少し心地良さの混った――少しではなく、ほとんど官能的な快楽とでも、本当は言いたいくらいの――悪夢に魘されるような不安をおこさせるのかもしれません。
「あの人たち、あの娘たちは今どうしているのだろうか、と弟が煙草をガラスの灰皿に押しつけて消しながら言い、私は黙っている。
 私たちは、たった今、母の葬式をすませて来たのだ、と書こうとして、指はためらいに痙攣し、痙攣しつづける。」
 という二行で、小説は、とりあえず終るのですが、この二行と、それまでの、ほぼ六百枚近い量の文章の間に、まだ書かれるはずの夥しい記憶が、よみがえるのではなく、生れつづけるだろうし、何も描写されていない、弟が押しつけて煙草を消す「ガラスの灰皿」も、こうして何度も何度も読みかえすと、それがどういうガラスの灰皿なのか気になって、指が苛立って来ますし、弟の問いに黙っている〈私〉と、「私たちは、たった今、母の葬式をすませて来たのだ」と書こうとしている〈私〉のためらい、痙攣する「指」が、どういう「時」にいるのか、ここからまた別の新しい小説が書きはじめられなければならないはずなのだから、と、書くことの疲れを先取りしたような、分裂的でいやな疲労感にも襲われて、いささか、自分にためらいを覚えます。
(かない・みえこ 作家)