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BOOK倶楽部TOP書籍斉藤道雄
テレビという入り口 斉藤道雄2002年12月号

[斉藤道雄] [渡辺浩弐] [山本一力]

「テレビに出ているから、僕は本が書ける」
 だれもが名前を知っている高名なノンフィクション作家が、同僚の番組ディレクターにそうつぶやいたという。あれほどの大家でもそうなのかと驚くとともに、本音かもしれないと思った。
 テレビはよくノンフィクション作家を番組に起用する。依頼を受けた作家は資料を集め、取材に出かけ、時間をかけてひとつのテーマを追ってゆく。首尾よく放送が終われば、テレビでの取材をベースに作家はあらためて一冊の本を書くことができるだろう。テレビの制作費が作家を支え、作家はその取材力や表現力で番組を助けるという幸福な取引がそこでは成立している。
 いや、ことはそれほど単純ではないのだが、少なくともテレビという媒体は、うまく使えばノンフィクション作家が執筆活動を広げる契機にはなりうるだろう。一方そうした仕組みに乗れない作家や作家予備軍は、なんらかの代わりの仕組みを探し求めるか、あるいは石に刻んでも書こうとする強い意思をもちつづけなければならない。
 正直にいって僕は、自分がなんの支えもなしにノンフィクションを書けたとは思わない。これまで三冊のノンフィクションを書き、最新作『悩む力べてるの家の人びと』が幸運にも講談社ノンフィクション賞を受賞したが、それはやはりテレビという場のなかで遊弋していたからできたことだった。もちろん書きたいという強い意思はあった。今回とりあげたテーマ、北海道浦河町という過疎の地で暮らす精神障害者グループ「べてるの家」の人びとの生き方についても、書きはじめてからなんどかくじけながら、書き終えるまでは死ねないと大仰な妄想にとりつかれていた。原稿を書く一方で日々の仕事に追われ、なんでこんなに追いつめられなければならないのかとも思った。書きながら、書き直しながら、僕はことばと、ことばが表す事象の多義性とゆらぎのなかで自らの記憶や人間存在の切実さを照合する作業をくり返しつつ、まるで知的格闘技とよびたくなる世界に入りこんだ気分だった。そこで思考のワープを重ねながら時間をかけてひとつの物語にたどりついてゆく過程は、断片的なニュース報道では決して味わえない爽快な経験だったと思う。それが可能だったのは、結局のところお前がテレビのディレクターという仕事についていたからだといわれても、僕は反論しない。
 そしてもうひとつ、これもまた率直にいうなら、僕はテレビではじめた仕事を、本を書くことによってはじめてひとつの形にしたと思っている。あるいは、テレビではどうにも伝えられなかったことを、本に書くことでようやく納得して伝えることができたのだと思う。それは三冊の著作すべてについていえることだ。
 一九九四年、アメリカのスミソニアン博物館で「原爆展論争」がおきたとき、僕は本業のワシントン報道そっちのけでこの論争にのめりこんでいった。そして何本かのレポートを東京に送り番組の企画を作った。けれどそこでしみじみ感じたことは、短いテレビニュースの枠に押し込められたとき、それらはおもしろくもなんともないたんなる情報に化してしまうということだった。テレビはなにが起きたかを伝えるが、それがなぜ起きたかは伝えない。そんなことは長年のテレビ報道で知りつくしているはずだというのに、あの論争はなぜおきたのか、なぜ歴史の記述は集団の記憶へと置き換えられていったのかといったきわめて刺激的な論点の数々を目の前にしたとき、「テレビでそんなことは伝えられない」と放っておくことはとてもできなかった。かといって、その当時、そしていまも、僕のおかれた状況はそれをあえてテレビ報道の新しい形にすることもできなかった。その経験が、最初の本を書かせている。
 ついで書いたのが「ろう者」とよばれる、手話を使う人びとの話だった。これも、番組企画として放送した内容を、放送だけではとても食い足りないと追いつづけ、休暇をつぶしてろう者へのインタビューを重ねながらまとめたものだ。そこには、ことばはいかにして生まれるのか、この社会でそのことばを支配するものはだれかという当面の疑問からはじまって、手話を使う人びとがいかに彼らの想像の共同体をつくりだしたか、その目に見えない共同体のなかから見たとき、「聞こえる人たち」の世界がいかに希薄に見えるかというところを描いたつもりだった。
 そして今回、僕は精神病といわれる人びとの世界に入りこんだ。精神疾患という重荷をになう人びとがどのようにして自らのなかに落ち込み、閉じこもり、人間関係をなくさざるをえなかったか、そしてそこから出てくるために、あるいはそのなかから僕らに呼びかけてくるために、必死の思いで自らを語り、ことばを紡ぎだそうとしているのを目の当たりにしている。語ること、聞くこと、そして他者との関係を取りもどすことが人間存在のいかに深いところに根ざしているかを、彼らの生き方のなかからくり返し教えられた。そうした過程に、取材者である自分自身が組み込まれてゆくという未曾有の事態も経験している。その一部はテレビで放送したが、取材によって自らのなかにため込んだものとテレビ画面に送り出したものとの落差は大きかった。ここでもまた僕は、テレビで仕事をはじめ、やがてテレビを離れて本を書くことにより自らを解放したのだと思う。
 正統的なジャーナリズム論からいえば、これはテレビ屋として失格ということになるだろう。ほんとうに伝えたいことがあるならば、なぜそれを番組のなかで伝えないのか。なぜ伝える工夫をしないのか。肝心な中身は別にとっておいて本に書くというのは不誠実だという非難がおこるだろう。そうした非難は甘んじて受けなければならない。しかしまたその一方で、僕はこうするしかなかったという思いがあることも事実なのだ。居直りというようなものではなく、それはテレビ報道という業務に携わってきたものの、ささやかな生きる知恵から生まれた棲み分けだったと思っている。
 多くのディレクターが、映像へのかぎりない愛着をいだきながら、そして映像の強さをいつも思い知らされながら、それがテレビという枠のなかにはめ込まれたとき、「なぜ」の部分が欠落していくことに煩悶している。そうしたテレビ映像がしばしば人間的営為の複雑さをおおい隠すことも知っている。にもかかわらず、あえて現実の複雑さを伝えようとすればお決まりのように番組との対立はさけられず、妥協をくり返すなかでディレクターとテレビは不幸な消耗を重ねてゆく。
 テレビ画面をめぐる対立と妥協をくり返しながら、僕自身はいまのテレビを「伝えるべきものを伝える」場というより、むしろ「視聴者が見たいものを提供する」場としてより強く認識している。それはジャーナリズムの退廃だと厳しく批判されたこともあるが、そうでなければこの世界で生き残ることはできなかった。テレビはこうあるべきだという「べき論」をいくらいわれても、現実にテレビのなかで生きている僕らは困惑するばかりなのだ。僕はテレビで仕事をはじめ、入り口を作り、ときに入り口の奥に入り込んで本を書く。そうすることによってはじめて、テレビというメディアの呪縛を逃れ、視聴者に対して素直な番組作りができるようになったと思っている。
(さいとう・みちおTBSディレクター)