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うっとうしさを吹き飛ばせ | 山本一力 | 2002年12月号
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深川に暮らし始めたのは、まったくの偶然からだった。
それまで住んでいたのは、中央区佃二丁目。当時経営にかかわっていたビデオ会社が月島にあり、通勤の便を考えて佃島の賃貸マンションに暮らしていた。
しかし会社を倒産させた者には、身の丈に余る住まいである。
「すぐにでもここを出たい」
カミさんは自転車で、周辺の空き家を探し回った。見つけたのが、現在の賃貸マンションである。住所は東京都江東区富岡、いわゆる深川エリアだ。
移り住んだのが一九九四年六月初旬。小説雑誌への、新人賞応募原稿を書いているさなかだった。
三百五十枚の長編は、すでに終盤に差しかかっていた。六月末日が応募締切だったから、そこまで書き進んでいて当然だっただろう。
物語の山場を明け方まで書き、なんとかその章を書き抜いた。
六月の夜明けは早い。午前五時前には、町がすっかり明るくなっていた。
ふうっと大きな息を吐いてから、わたしは通りに出た。梅雨を迎える手前の、初夏の踏ん張りとでもいえようか。空はすでに、青さが分かるほどに晴れていた。
富岡八幡宮までは、歩いて五分だ。町は八幡宮の杜(もり)が放つ、木々の精気におおわれていた。境内に入ると、さらに杜の気配が濃くなった。
木々の営みが放つ精気。
この町に暮らし始めるまで、わたしはそれを忘れていた。遠い昔、高知に暮らしていたこども時分は、町のいたるところに木があり、山も野原も身近だった。そのころに感じたと同じ朝の気配を、わたしは八幡宮で久々に味わうことができた。
さらにもうひとつ。
富岡八幡宮には、江戸時代からの『とき』が、途絶えることなく境内に流れていた。
銀杏の古木は、樹齢百年を優に超えている。
本殿に続く石段両側の狛犬は、享保十二(一七二七)年に海辺大工町の肝煎きもいり衆が奉納したものだ。
その朝参詣におとずれるまで、海辺大工町は古地図に記された町でしかなかった。作中に町名を書きながらも、わたしは架空の町のように思っていた。
ところが狛犬の台座には大きな文字で、町名と奉納者名がはっきりと彫られていた。
ほんとうに、ひとが暮らしていたんだ……。
狛犬が、一気にわたしを江戸の町にいざなってくれた。台座に触れたとき、比喩ではなく、江戸時代の深川を感じた。
この朝、わたしは時代小説を書くには、ここに勝る土地はないと確信した。そして終盤近くまで書き進めていた原稿を、あたまから書き直した。文献だけを頼って書いた内容が、八幡宮で感じた江戸とは、あまりにかけ離れていたからだ。
徹底して書き直した三百五十枚の作品は、生まれて初めて仕上げた小説にもかかわらず、最終選考まで残った。あの朝感じた江戸の空気を、作中に生かすことができたからだと、今でも思っている。
一九九七年にオール讀物新人賞をいただいた『蒼龍』も、八幡宮境内が重要な舞台となっている。作中の主人公は、石段に腰をおろして、あれこれ思いをめぐらせる。
それはまさに、作者をそのまま投影していた。わたしは物語の運びに詰まるたびに、八幡宮をおとずれた。そして木々に触れたり、狛犬にさわったりを繰り返して、江戸を感じ取った。境内に漂う気配が、わたしに江戸時代を教えてくれた。
このたび上梓した『深川黄表紙掛取り帖』のアイデアが浮かんだのは、講談社から自宅まで帰る自転車をこぎながら、だった。
小説雑誌新人賞に投稿を始めるまで、わたしは販売促進企画のプランニングとセールスに、二十年以上も携わってきた。プレゼンテーションした企画の多くは、不採用の憂き目にあった。そのなかには、優れたプランだといまでも自負している案が幾つもある。
しかし販促企画は、クライアント(顧客)に採用されなければ意味がない。
いつか、かならず日の目を見ることがある……こんな思いを抱えていたわたしが、時代小説の物書きになった。
講談社からの帰途、ふっとひとつのことに思い至った。
販促企画は顧客へのプレゼンだが、小説は読者へのプレゼンだ。だったら、小説の形で思いっきり読者に提案してみよう。
これをそのときに思いついた。
販促企画の立案は、デザイナ・コピーライタ・イラストレータなどの、手練(てだれ)クリエイタによるチームワークである。メンバーの呼吸がピタリと合っていれば、素晴らしいプランが創造できる。これをわたしは経験則で知悉(ちしつ)していた。
主人公の蔵秀(ぞうしゅう)がプロデューサ。年長の宗佑(そうすけ)がデザイナ、辰次郎(たつじろう)がコピーライタで紅一点の雅乃(まさの)がイラストレータだ。物語の運びによっては、蔵秀の両親、賭場の貸元などがアドバイザとしてチームに加わる。そしてクライアントが持ち込む難題に立ち向かう。
これが連作アイデアの原型だった。
小説であれば、作中でクライアントにどんな提案でもできる。
採用・不採用も、作者が決定できる。
プランニングの条件は、たったひとつ。
読んだ読者が、おもしろいと感じてくれる内容であることだ。主人公たちが暮らすのは、絶対に深川だと決めていた。すでに書いた通り、わたしが暮らす町には、江戸の風情がたっぷりと残っているからだ。
時代は元禄に定めた。そのわけは、この中篇連作をお読み願えればご理解いただける。元禄時代ならではの時代背景があるし、その時代に活躍した人物も出てくる。
歴史的事実は変えられないが、その周辺の出来事は作者が好きに創作できる。
これもすでに書いたことだが、小説は作者から読者へのプレゼンテーションだとわたしは思う。つまり『深川黄表紙掛取り帖』のすべてが、いわば読者諸姉兄への販促プレゼンのようなものだ。
どこまでが事実で、どこからが虚構なのか。
その按配(あんばい)を、読者の皆様に楽しんでいただきたい。
作者と編集者との二人三脚で、細部までプランニングを練りに練った。それを作中の人物たちに託した。
主人公は三十代前半。昔の三十代はいまの同世代に比べて、はるかに成熟していたというのが定説である。
しかしわたしは、あえて主人公には若さを求めた。
若いがゆえにできることもあるし、思慮が足りないことが引き起こす過ちもある。それが三十代ではないだろうか。
いま多くのひとが、それも本来なら溌剌(はつらつ)としているはずの三十代の若者たちが、不景気に起因する「重たい閉塞感」に絡めとられている気がしてならない。
この連作が、うっとうしさを吹き飛ばしてくれると信じて、なにとぞご一読いただきたい。
(やまもと・いちりき 作家)
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