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BOOK倶楽部TOP書籍黒田征太郎
グルメのアホの自己紹介黒田征太郎2004年11月号


 65年間生きて来て、
「はら、へったナー」と何回おもったことだろうか。
 千回いや万回は「ハラ、へったー」とつぶやきながら生きて来ました。
 食い終った瞬間に、「うえー死にそうや」と思いつつも頭の奥の奥底で、「ハラ、ヘッタアー」とひびいているような気がするのは、なんなのでしょうか?
 特別にうまいもん食いではないし、びっくりするほどの大食でもありません。ちょっとだけ、食い意地は張ってるほうかも知れません。たとえば丸々に太ったブタを見たら、そいつがドロドロによごれていようが、「うまそう!」と思うわけですから。
 しかし、こんなのは普通のことでしょう。
 ブタのケツのパンパンでモコモコのピンクのところ見てたらトンカツやらハムが重なって見えたりするんです。
 ヒトは食べるから生きている。戦争やら事故で殺されるのは別にして、病気で死ぬ。ということは、食べられなくなったから死ぬのですよね。ガソリンが切れた車が動かなくなることと同じ。ですから僕にとってヒトが生きて死ぬ、ようするに人の一生のイメージとは一本のパイプが天と地の間につっ立っていて、パイプの入口からイロイロが通過してゆくだけの図なのです。そのイロイロには、まったくイロイロとあって、人それぞれでカネやらオンナ、車に時計。政治屋になっていばりたいから、オリンピックに出てみたい。ヒトを殺してみたいから、人を助けたい。戦争をしたかったり、平和を望んだり、イロイロがドロドロと渦巻いているわけで、そんなイロイロがドロドロと人という一本のパイプの中をザーッと流れて人生一巻のオワリのような絵が浮かぶのですが、そんなイロイロをつなげるノリのようなテープのような役割をするのが食いもんだと思うのです。そうですよね。どんなにカシコでもアホでも、金持でも貧乏でも、男前でもベッピンでも、食わへんかったら一巻のオワリでございます。それぞれの人間はタネの時から大競走の末にキセキ的にオギャーと生まれて来たんですよね。
 それやから、この世に生まれて来たニンゲンはゼッタイ的に生きたがり。なのですよ。
 死のうと思って生まれてくるはずがない。最初は細い細いちっちゃいパイプですが、それなりに「生きたるで」と天地の間に立って、口開けて、生きるためにイチバン大切な食いもんをまってますが、天地の間は運というどうしようにもないサダメがあって、最初から銀のスプーンで一等賞のガソリンをいただけるパイプもあれば、生まれてはみたものの、親パイプが血の涙をしぼりたてても、ガソリン一滴ももらえずに、生まれて来ただけで、終ってしまうイノチもあるのですよね。
「にんげんはみんなおなじ」なんてウソ800でっせ。ボクの場合は、ま、そこそこに親が食いもんをほうりこんでくれましたので、死なんと生き残ることが出来たのですが、じゃあ、充分かと言えば、そうではありませんでした。
 生まれたのが第2次世界大戦の始まりと同じ1939年なのでございますから、生まれた時からの戦争っ子。なんせ親共が「欲しがりません勝つまでは」なんてオコトバをお上から刷り込まれているわけですから生きてただけでもラッキーな、パイプなのでありまして、起きてから寝るまで「ハラへったー」「腹減った」の、お子様時代なのでありました。1939年そして1945年の夏に終戦です。パイプの僕は7歳の食べ盛り、しかし、コテンパンに敗けてしまったニッポンには、なーんにもありません。学校に行っても、家に帰っても、考えることは“食いもん”のことばかり。
 ですから、オレという天と地の間にかろうじて立ってたパイプはいつも、いつでも天から食いもんが降ってくることを、ただただそれだけを考えながらグラグラゆれながら立っていたんです。
 そんな情けなーい絵柄がうかんでくるのです。食い物、くいもん、たべもの、ごはん、おかず、とにかく腹がふくれてくれたらオッケー。
 味は二の次三の次、そんな時代がずーっと続きました。西暦でいえば、1955年昭和の30年。そう、オレが肉体労働者として貨物船の下級船員になるまでですから、10と6年間「ハラヘッター」とつっ立っていたんですから、長い旅路でっせ。忘れもしません。
 乗組んだ船の食い放題の白い米。キャベツの煮たんかいなと喰らいついたら、ミンチ肉が出てきて感動して泣きそうになった最初のロールキャベツ様々。僕は16歳でした。そんな安定しためし事情も船を降りたとたんにふたたび明日のめしさえままならぬドヤの生活へと移行したのでした。そやから僕にとってのメシとはいま、くえてるけんども次はどうなるかワカランものになってしまったのでございます。そやから昔々の原始の人達の気分がよくわかるような気がするのであります。“あの人ら”はいつでもダンガイゼッペキのギリギリでメシのこと想てたに違いない。いつでも、どんなに腹パンパンでも、腹へったーと危機感をもってたに違いない。そんな気持が、食い物への感謝、クイモンをよりよくするためへの発見発明へとつながったのだと思うのですが。
 さて、その子孫の私はと申しますれば、ただただ過去の腹へったーの記憶を“なつかしがって”食い物への感謝、食い物への工夫なんてまったく失ってしまって、今日もぼんやりとつっ立って口を開けてムダメシを流しこまれているだけの錆たパイプになり果てているのです。
 さて、よけいな心配かも知れませんが地球の上の人口の増え方。それに対しての食糧の自給率。どう考えましてもヤバイ時代がせまって来てます。
 そろそろ食いもんの神さまの最後の審判が下されるかもしれませんのにね。まったくもって、グルメのアホとはボクの、オレの、私のことでございます。
(くろだ・せいたろう イラストレーター)