開国か、攘夷か。黒船来襲に揺れる安政年間。信州伊那谷で剣の腕を磨きあげていた若者・藤之助。江戸で交代寄合旗本家の当主座光寺藤之助となり、長崎で運命のヒロイン玲奈と出逢う。無敵の剣と迅雷の銃を手に、若者は激動の時代の大波に向かい、突き進んでいく――。
――「月刊佐伯」という異名をとるほど、もうここ何年もハイペースの刊行を続けられています。その秘訣は?
普段の暮らしはものすごくシンプルなんです。朝、三時か四時に起きて、日の出前にひと仕事して、六時くらいから犬の散歩に行くんです。あとは勢いに乗って昼前には、その日の分が書き上がる。午後は、ゲラに手を入れたりして過ごし、また夕方四時くらいになって犬の散歩に出かける。それから風呂に入って、ビールかワインを一杯だけ飲んで、眠くなったら寝る。それが理想的な一日です。まったくもう、修行僧みたいな生活です(笑)。
――各社のシリーズがありますが、著作すべてが文庫書下ろしです。
ぼくは文庫書下ろし時代小説の先駆けの一人でしょうね。雑誌で連載して単行本になって、数年経って文庫になる。王道といえば王道だし作家にはステータスかもしれない。でもぼくのように実績のなかった者には、文庫書き下ろしでも本を出し続けられる道が残っていたのは、救いだった。
おかげさまで今多くの読者の方に支えられているのは、実に幸運なことでした。
講談社さんから創業100周年書き下ろし(第八巻『黙契』と第九巻『御暇』)のお話をいただいたときも、あらたまって単行本とかではなく、いつものスタイルでいつものシリーズで、のほうがぼくらしいかなと思ったんです。
――文庫書下ろしのいいところは何でしょう。
六百円かそこらで一冊買えるのは、年金生活世代などにはやっぱり大きいことですね。それにこんなにサイクルの早い世の中になると、発信するときの作者の呼吸が、時が経って薄れないうちに読者のもとに届けられるというのも大事なことだと思っています。
かつては文庫というと、読者の厳しい目をかいくぐってスタンダードになったものだけが、古典として文庫で読み継がれてきました。たとえば、司馬遼太郎さんは歴史観に基づいて、大説といってもいいスケールの大きな小説を書いてこられた。池波正太郎さんは江戸趣味や文化に精通して著作してこられた。ぼくなんか、どちらもないですから。
それでも、ぼくが書き続ける意味があるとすると、先の見えない今の社会状況の中で苦しんでいる人たちが、たとえば出張帰りの新幹線の中だとかで読んでくださるとき、その間だけでも嫌なことをひととき忘れて楽しんでほしい、ぼくはそれだけでいい、という気持ちで書いています。
――お若い頃、スペインで闘牛カメラマンだったことも有名ですね。
剣術のことを知っていますか、と聞かれれば、そんなもの知らない、と答えるしかありません(笑)。ぼくの剣戟の書き方は丁々発止というのではなくて、一撃必殺といっていいものがほとんどだと思う。あの間合いはきっと闘牛から覚えたものなんでしょう。牛と闘牛士の生死を決するのは、数間の先から走り込んでくる一瞬なんですね。
――「交代寄合伊奈衆異聞」は安政地震以降の幕末が舞台です。

黒船が来た時代は、剣のもつ意味が、殺しの道具から何か精神性を持ったものに変わっていく時代でもあると思うのです。当然、藤之助自身も変わっていく。
西からの勢力、朝廷を神輿に担いだ薩長連合軍の江戸入城を前に、「首斬安堵」という徳川家の秘命を帯びた旗本座光寺家の当主である藤之助が、来たるべき世に備えてどう対処するかも楽しみにしてください。二百六十余年の安定した世界が崩れていくわけですから、激動の中にもみくちゃになって、動き回って生きていくしかない。生き抜くためにどんな工夫をするのか。
「交代寄合」は、ぼくが書いている中で、最も現代に近いシリーズですから、変化していく時代を描きながら、大きく育てていきたいですね。
(「IN・POCKET」2005年12月号、2008年12月号の著者インタビューより抜粋)
1942年福岡県生まれ。
闘牛カメラマンとして海外で活躍後、国際冒険小説執筆を経て、99年から時代小説に転向。迫力ある剣戟描写や人情味ゆたかな庶民性を生かした作品を次々に発表し、平成の時代小説人気を牽引する作家となる。
文庫書き下ろし作品のみで累計2,000万部を突破する快挙を成し遂げる。
「密命」「居眠り磐音江戸双紙」「吉原裏同心」「夏目影二郎始末旅」「鎌倉河岸捕物控」「酔いどれ小籐次留書」「新・古着屋総兵衛影始末」など各シリーズがある。
講談社文庫での「交代寄合伊那衆異聞」は、佐伯作品のなかでも最も新しい時代を描く時代小説。黒船来襲以降の動乱の幕末期を、若き剣豪旗本座光寺藤之助が駆け抜けていく注目のシリーズである。