講談社BOOK倶楽部
講談社創業100周年記念企画「この1冊!」

  

 
ポップの高度発展の果てにあるいま、難解な音楽を聴く愉しみを、批評家はいかに語りうるのか。ネットによって変容した言説空間のなかでの、「面白い批評」の
ヴァレリー・アファナシェフ The Body―プログレッシヴ・ロックをめぐる哲学的省察
ユニークな音楽性で知られるクラッシックピアニストは、熱烈なキング・クリムゾンの愛好者。ロックとクラシックを往還しつつ音楽の本質を考察する「哲学的エッセイ」。
大和田俊之 反復と制御―ポピュラー音楽における<黒さ>について
アメリカのみならず日本もふくめ全世界の音楽シーンを影響下に置き、私たちが身を委ねる「黒い」音楽は、いかなる意味において「黒い」のか。気鋭の研究者による論考です。
田村和紀夫 音楽はシステムである Music is system 
新石器時代からピタゴラスまで、人類にとって音楽は「システム」だった。情緒として捉えられがちな音楽のもう一つの側面を、人類の歴史とシンクロさせつつ大胆に論じます。
沼田順 即興音楽とは何か―インプロヴィゼーションの現在
国内外のミュージシャンたちによるもっとも先鋭的な音楽をリリースしているレーベル主宰者による、現場からの音楽論。進化を続ける即興音楽の本質に鋭く迫ります。
阪上正巳 狂気と音楽 
「狂気」は「正気」からの逸脱か? あるいはもう一つの人間の生の「制度」なのか? 音楽療法の第一人者である精神科医が、音楽と狂気の奇妙な親近性の謎に迫ります。
稲垣良典 神と音楽 
中世スコラ哲学は、音楽の諧調に神の元における世界の調和の証しを見出した。プラトン、アウグスティヌス、トマス・アクィナスの思想から神と音楽の本質的な関係性を考察します。

 
ガムラン、アフリカ、インド、イラン、日本、ルネサンス音楽……それぞれの専門家が一同に会して大激論! 果たして、これらの音楽を通底する価値観はあり得るのか。あるいは根本的に異質なものなのか。驚きと発見に満ちた、濃密なシンポジウムです!
カルロ・フォルリベジ 「東」の音と「西」の音 あわせることは可能か?―西洋と日本の音楽的「習合」のための試論 
まったく異なる響きを持つ異文化の音を調和させる「超ー音律」とは? 日本を主要なフィールドの一つとするヨーロッパの現代音楽作曲家による、ユニークな「東西」音楽論。
斎藤完 近現代における"かの地"の音楽―オスマン帝国、そしてトルコ共和国 
非西洋国家が「近代化」を目指すとき、どのような言説戦略が採られたか。後発の近代国民国家=トルコ共和国を例に、国民国家と音楽制度の二重三重に拗れた関係性を描きます。
谷口文和 レコード音楽がもたらす空間―音のメディア表現論
音を聴くとは、光を視ることと同一のことなのか? 録音という技術によって、音を聴くことの意味はいかに変容してきているか。音楽学の基底を作り替えようとする気鋭の研究者による探究の現場にご注目ください。
輪島祐介 ≪東京行進曲≫≪こんにちは赤ちゃん≫≪アカシアの雨がやむとき≫―日本レコード歌謡言説史序説 
日本の大衆音楽は、近代西洋的価値観から、つねに「遅れた」「低級なもの」とされてきた。大衆音楽が知的エリートによって如何に語られてきたかを辿る、大衆音楽の言説史。
渡邊未帆 カット=アップの快楽―大里俊晴音楽論にかえて 
現代音楽からシャンソンまで、あらゆる「音楽」を巡り縦横無尽の言説を展開した音楽批評界の鬼才大里俊晴は、本号の精神を体現したかのような方でした。本年惜しまれつつ逝去した大里氏を悼み、その思考の軌跡をカット=アップで辿ります。

 
「いい演奏」「悪い演奏」とは何か? その判断の根拠は? あるいは、そのような判断は果たして可能なのか? 毎年五〇回以上、ヨーロッパでクラシックのコンサートを聴いている「最高の聴衆」を迎え、芸術と批評を巡って展開する白熱の対話。

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