講談社BOOK倶楽部
講談社創業100周年記念企画「この1冊!」

  

『小説日本』編集者の雉田はおそるおそる、編集長の熊川に申し出た。
「あの、そろそろウチでも医療小説特集を組みたいんですけど」
「まだそんなことを考えていたのか。医療小説特集なんて売れない、とこの前の編集会議できっぱり言ったはずだ」
 熊川編集長が呆れ顔でそう答えると、雉田はぼそぼそと言う。
「でも最近、あちこちで医療小説特集が組まれています。このままではわが『小説日本』だけが乗り遅れることになりかねません」
 一瞬、熊川は不安そうな顔になる。横並びに外れるということが、編集長という人種にとって一番の脅威なのだ。だがすぐに強気の顔を取り戻し、言う。
「心配するな。医療小説特集は絶対売れない。これは俺の編集長生活三十年の経験を以て断言する」
「お言葉ですが、熊川編集長が編集長に就任されたのは昨年ですから、編集長生活はまだ一年足らずでは」
 熊川はぎろりと雉田を見つめて言う。
「雉田、人の揚げ足を取るのは楽しいか? だからお前は出世できないんだ」
「すみません」
 出世欲のない雉田はあっさり頭を下げる。熊川はきっぱりと言う。
「いずれにしても医療小説特集企画は却下だ。俺の目の黒いうちは、そんな企画は通さないからな。覚えておけ」
 雉田は気弱げにうなずきながら、これで広田先生とは絶縁だな、と思う。
 先日この企画を出したのは、医療系作品をメインに書いている作家、広田にせっつかれたからだ。それは三年越しの約束でもあった。折に触れては企画を提案し、木っ端微塵に却下されてはや三年。熊川はこの企画を提案した相手としては三人目の編集長になる。
 あてつけのように、熊川は雉田の隣の席に座る犬村に言った。
「犬村君、“真冬はコタツとミステリ”という企画は進んでいるかね」
「当然、ばっちりですよ、熊川編集長」
「いやあ、『コタツとミカン』という黄金コンビに掛けて『コタツとミステリ』とは語呂がよくて斬新だ。ただしミカンはミカンでも、“未完”ではいかんぞ」
 すかさず犬村は答える。
「大丈夫です。それより編集長こそ、この企画は“未刊”にしないでくださいよ」
 編集長お得意の、笑えないダジャレにぴったりの呼吸でついていく犬村を横目で見ながら、雉田はため息をついた。
 熊川は犬村の肩をぽんぽんと叩く。
「心配するな。エロ、ミステリ、時代小説は小説誌の鉄板企画、三種の神器だからな。それじゃあ来月の特集は頼んだぞ、『小説日本』のエースの犬村クン」
 隣で置き去りにされた雉田は、目の前でそんなふたりが意気投合するのを横目で眺めるしかなかった。
             ☆
 一週間後。
 ランチを終えた雉田と犬村が編集部に戻ると、ふだんは夕方出社が定番の熊川編集長が、真っ青な顔をして立ちすくんでいた。
 ふたりの顔を見ると、歩み寄ってきて言う。
「犬村君、すまないが先日の企画、“コタツでミカン”は中止にする」
「そんな。今さらそんなことを言われても困ります。“コタツでミカン”企画は好評で、打診した何人かの先生から内諾もいただいているんです。だいたい編集長は先日、未刊にしないって約束したじゃないですか」
 本当は『コタツでミステリ』なのに、ふたりともすっかり忘れているな、と雉田だけが気づいていると、熊川は雉田に向き直って言う。
「というわけで雉田君、君が企画した医療小説特集、来月特集することにしたからな」
「ど、どうしたんですか、熊川編集長」
 何が、“というわけで”なのだろうと目を丸くしながら、雉田は尋ねる。


(中略)


「医療従事者の潜在的マーケットは大きい。医師三十万人、看護師百万人、病院事務など関連した人を含めたら三百万人以上の人がかかわる一大領域です。その人たちが全員、一冊ずつ買ってくれればミリオンセラーが続出する、そんな巨大マーケットをあえて無視して出版不況だと言い立てるだけなんて、視野狭窄もいいところでしょう」
 彦根の言葉を聞いて、会長が静かに言う。
「確かに彦根先生の言う通りなのだろうが、だからといって果たして医師がここまでやっていいものだろうか」
 銀縁眼鏡の彦根は、苦笑する。
「でも、こうでもしないと真実が社会に届きませんから」
 そう言うと彦根は目を細める。
「医師会は、本義的には医師の代表機関なのに、メディアによって“開業医の利益団体”などと揶揄されています。そして市民は内実を確かめようともせずにそれを鵜呑みにする。そんな無知蒙昧な連中に対して、医療側が多少やり返しても当然です」
「うむ。その通りなんだろうが、心情的にはなかなかに難しいのだよ」
 彦根はうなずく。
「医師会は市民社会のため公益性の高い仕事をしている。そうした活動を通じ、医療を守ろうとしている。医療費が増えれば医療現場が守られる。その結果、開業医の収入も増える。するとメディアはそこだけ切り取り、開業医の利益団体だとプロパガンダする。けれども医療費が増えて利益を得るのは、めぐりめぐって急病になったときに安い費用で対応してもらえる市民自身です。そんなことにも気づかず、メディアの医療叩きの尻馬に乗っていると、医療現場は患者に対応できなくなる。『小説日本』の編集長にはそんな未来を一足先に、疑似体験してもらっただけです」
「そうした市民ひとりひとりの、医療に対する正確な理解が、彦根先生の提唱する医翼主義へとつながっていくわけですね」
 広田が言うと、彦根がうなずく。
「その通りです。医療は市民を守る。医療を守るためなら国が滅びたって構わないじゃないですか。古来、国は栄枯盛衰を繰り返し変わってきましたが、市民が医療を求める心は、まったく変わらないんですから」

続きはIN★POCKET5月号をご覧ください。

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注目作家、ついに登場!早見和真インタビュー

『ひゃくはち』でデビュー以来、注目を集めている早見和真氏が初登場。様々な二十七歳を描いた新刊『東京ドーン』についてお話しいただきました!


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映画化もされたデビュー作『ひゃくはち』(集英社文庫)、『スリーピング★ブッダ』(角川書店)、『砂上のファンファーレ』(幻冬舎)と意欲作を次々と発表している早見和真さん。その注目の新作『東京ドーン』が刊行されました。本作は、二十七歳の男女を描いた六篇からなる短篇連作です。まずは、なぜ「二十七歳たち」を主人公にしたのでしょうか?
「二十七歳」という年齢にはもう一つの理由があるんです。それは、ある章でも書いていますが「プレイヤーじゃない人を肯定したかった」から。
 有名な話ですが、世の中には二十七歳で死んだミュージシャンの物語が溢れているんです。ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、カート・コバーン、ジム・モリスン、ブライアン・ジョーンズ……。昨年亡くなったエイミー・ワインハウスもちょうど二十七歳でした。
 音楽をやってきたわけではないけれど、この「二十七歳で死んだ」物語に数多く触れてきた自分にとって、ずっと印象に残っている年齢だったんですよ。実際、二十七歳になったとき「ああ、まだ生きてるなあ」と思ったこともよく覚えています。
 二十七を過ぎて生きている自分たちは、死ねなかったし、ジャニスにもジミヘンにもなれなかった。「死ねなかった」と言いましたけど、「死ななかった者」であるはずだし「死なずにすんだ者」でもあると思うんです。こうして何者かにもなれず、だけど、この先も生き続けていく人こそ、実は尊いんじゃないかという気持ちがありました。
 それと自分も含めて、世間は、二十七歳で死んでいった彼らを肯定し過ぎているという思いもありましたね。なぜ死んだ人を無批判に肯定して、いま生きている人たちを肯定できないんだろう、死ななかったからこそ、これからしんどい人たちだからこそ、二十七歳の時間を肯定したいと思ったんです。
 教育の話になってしまうんですが、僕はみんながみんな、プレイヤーを目指しすぎていたし、個人個人を肯定し過ぎていたと思っている。だから、二十七歳を生きている「プレイヤーじゃない人たち」を肯定しようという気持ちが強くあったんですよね。
――
普遍的な意味での「二十七歳」ですね。二十五歳でもない、三十歳でもない、その年頃特有の悩みがあるのかもしれません。もう一つ、現在の二十七歳、つまり世代としての二十七歳はいかがでしょうか。だいたい八十年代初頭に生まれた世代ですね。
 僕たちの世代(現在三十四歳)は、フリーターが許された最後の世代じゃないかと思っています。いつまでも何かを諦めきれない世代です。さんざん「夢を持て」と煽られ続けて、今頃になって「しっかりしろ」とか糾弾されていますけど、やっぱり今も何かを諦めきれずにもがいている。
 一方、二十代前半の世代は、当たり前のように、いろんなことを諦められる世代で、何事に対してもとても軽やかに見える。僕たちの世代とはちがって、最初から諦めることができる世代に見えるんです。
 そして、そんな旧世代と新世代に挟まれた真ん中でごちゃごちゃと悩み、迷い続けている世代、それが今の二十七歳なんじゃないかなと。そんな認識が書いているときにはありましたね。

続きはIN★POCKET5月号をご覧ください。

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カメラマンはキャッチャー

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平敷さんが、周りのスタッフの個性を尊重し、良好な関係を築いていたからこそ、登場人物の魅力を引き出せたのだと感じました。
平敷
 取材の現場で、カメラマンは主役ではありません。野球で言うと、記者が花形のピッチャーで、カメラマンはキャッチャーという感じでしょうか。この記者はカーブが得意なのか、スライダーが得意なのか。どうやって打者、つまり撮りたい素材を打ち取るのがいいのか、記者の適性に合わせて対応していました。記者の性格や考え方、強みなどを把握するのは、不慮の事態が発生しやすい戦場の取材では特に大事なことです。
――
記者は戦争に肯定的な「タカ派」と否定的な「ハト派」に分かれていた、という話が出てきますね。
平敷
 記者自身がベトナム戦争をどう捉えているか、ということも取材のやり方に大きく影響します。記者の生まれ育った環境によって、得意な素材と苦手な素材がありますからね。カメラマンはそれを理解しながら、取材を進める必要があります。
――
いろいろなタイプの記者と組むのは、面白そうでもあり、大変そうでもあります。
平敷
 なかには、教養を試すように、音楽や文学について意地悪な質問をしてくる記者もいました。こちらも下手な英語で見栄をはって答えるものだから、ケンカみたいになってしまって。でも、仲違いしたままだといい取材はできませんから、「僕らは同じチームであって、競争相手ではない。お互いを理解しないと試合には勝てない」という内容を箇条書きにしてメモで渡しました。それを読んだ彼が照れくさそうに握手を求めてきて、それで水に流すことができたんです。記者とカメラマンは仲良くする必要はないけれど、理解し合わないといいニュースは撮れません。

戦場のトラウマが本に昇華した

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テレビニュースをつくるというのはチームプレイなんですね。
平敷
 当時、取材時にはサウンドマンという録音を担当する係がいて、サウンドマンとカメラマンはケーブルでつながっていました。だから、いきなり砲弾が飛んできた時などは、同じ方向に避けなければ、ケーブルが切れて撮影ができなくなってしまうんです。記者とカメラマンとサウンドマンは、互いの安否を気遣いながら、一心同体のような感じで取材を進めていました。
――
戦場で危険な目にあって、トラウマが残った記者やカメラマンもいたのではないでしょうか。
平敷
 本を書くために、いろいろと昔の仲間たちに質問をしたなかで、「戦争の後遺症はありますか」というものがありました。やはり今でも、大きな物音やヘリコプターの音がこわい、知らない土地では無意識に逃げ道を確保しようとしている、などの答えがありました。なかには、ゲリラ戦の影響で、公園などで藪が続くとそこから誰かが飛び出してくるんじゃないかという恐怖にかられる、という人もいましたね。

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 川上未映子初の長編小説「ヘヴン」は、二〇〇九年七月発売の『群像』八月号で発表された。発表直後の新聞各紙の文芸時評からは、評論家たちの興奮が伝わってくるようだ。
「これをいちばんはじめに読んでしまったら、あとの小説がこちらに迫ってこない」(七月二十六日付「産経新聞」石原千秋氏)、「『ヘヴン』はいままでにない形で孤独な読者を励ますように思われる」(七月二十八日付「朝日新聞」斎藤美奈子氏)、「これはシンプルで深い、まぎれもない傑作である」(七月二十九日付「東京新聞」沼野充義氏)。
 同年九月、「ヘヴン」は単行本化され、十二万部を超えるベストセラーとなった。評論家のみならず、読者の心をも掴んだのである。これほど多くの人たちを魅了した本作の魅力とは、いったいどこにあるのだろう。
 物語の主人公は、十四歳の少年〈僕〉。同級生から苛いじめられ、日常的に暴力をふるわれる〈僕〉は、やはり苛められている女生徒〈コジマ〉と、人知れず友情を育む。二人は秘密の文通を重ね、〈コジマ〉が「ヘヴン」と名づけた絵を見るために一緒に美術館へ出掛けるなどして、心を通わせる。しかし、密やかで無む垢くな関係は、やがて奇妙に変容していく。

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