「駄ジャレなパーティー」  小田島雄志

『駄ジャレの流儀』
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 拙著『駄ジャレの流儀』が刊行された年(2000年)の12月、ぼくは古希を迎え、演劇人など三百数十人が集まって祝ってくれた。
 最初のスピーチは井上ひさしさん。「小田島さんは古希になられたそうですが、私はすでにコキュでして……」と、わが身を斬るような駄ジャレから始まった。そのあと、筑紫哲也さん、吉行和子さんと、心あたたまるスピーチが続いたあと、最後に加藤剛さんが、「小田島さんは、学者なのにこんなに愛され、評論家なのにこんなに慕われ、芸術家なのにこんなに信用される、古来希なり」と、身に余るほめことばで結んで拍手を浴びた。
 そしてぼくの謝辞となったので、9歳の孫の創志からもらった俳句を披露した。
  ゆず風呂に浮かんでいるよしあわせが
 五七五の頭に「ゆ・う・し」とぼくの名前が折り込んであるこの句を聞いて、満場に感嘆の声が湧き起こった。市川森一さんが、「これで9歳とはな!」と言うと、演劇ジャーナリストの安達英一さんが、「9歳というより、天才ですよ」と応じ、さらにせがれ(つまり孫の父親)が、「いや、テン(十)歳になるのは来年です」とまぜっ返す、といったありさま。ぼくが、苦心の「古希ン和歌集」から二首、
  お芝居が大好きおまけに詩まで好き
   友人と呼ぶぞシェイクスピアよ
  思い出を抱きしめ泣いてしまったと
   言うもおろかな七十のわれ
(いずれも五七五七七の頭に、「お・だ・しま・ゆう・し」と折り込んである)を紹介しても、ほとんどだれも聞いてくれないほどの騒ぎなのである。この夜の主役は完全に孫に奪われてしまった。
 二週間後に新年になり、年賀状が続々とはこばれてきた。おもしろいことに、古希のパーティーに出席した友人たちのうち大多数は、苦心惨憺してひねり出した駄ジャレを書き添えてくれていた。だが残念ながらそのうちの大多数の出来ばえは、和田勉さんの「我笑」(もちろん、賀正のパロディー)を超えていなかった。中には、「苦心惨憺」どころか楽々と傑作を生んで、ぼくに「苦笑賛嘆」させたものもいた。彼らのほとんどは、多分、『駄ジャレの流儀』を熟読玩味した感心な人たちだろう、とぼくは勝手に推測したのである。
[IN・POCKET表紙ページ]
[加賀乙彦][坂東眞砂子][野口百合子][清涼院流水][小田島雄志][佐々木 譲][柴田 翔]