from FBN


2002年 日本代表の真実 中田浩二
「トルシエに、怒られたことがない」

試合に送り出された数は当然、監督がその選手に寄せる信頼度を表している。 '01年以降、ワールドカップ(以下W杯)までのすべての日本代表の試合に出場した のは、中田浩二しかいない。25戦して、フル出場が21度。フィリップ・トルシエ監督 からDFという新しいポジションを授けられ、しかも「フラット3」という特殊な戦 術で戦わされたこのマルチプレーヤーは、日本には今まで存在しなかったタイプのD Fに育った。

DF中田浩二のプレースタイルとフラット3のなかで果たした機能を正確にとら えるには、彼のサッカー人生をさかのぼって語らなくてはならない。


'99年のワールドユースへ向けたブルキナファソ合宿で、中田浩二は本職のボラン チと左アウトサイドで試されていた。ところがDFの柱だった金古聖司(鹿島)が故 障。急きょ、3バックの一角を任されることになった。

小学2年でサッカーを始めた中田浩二にとって、コンバートは3度目だった。後 藤ケ丘中(米子市)2年まではFW。だが、中学3年からはMFとして攻撃を構築す る側に回り、さらに帝京高3年に進む際にもう1列下がってボランチとなった。鹿島 でもボランチ。そして、トルシエによってDFに転向する。

「自分のポジションにこだわりを持っている人だったら、プライドが邪魔をして 納得がいかないでしょうね。僕の場合、転向を言い渡されるたびにチャレンジしてや ろうという気になれた。1つポジションが下がることによって新しいサッカー観を獲 得できるのではないかと思って」。試合に出られるのであれば、どのポジションでも 受け入れたのは現実的な思考の持ち主ゆえだ。その生き方がプレースタイルとつなが っている。

中田浩二には「監督あっての選手」だという割り切りがある。ポジションについ ても、戦い方についても、決めるのは監督であって、選手がとやかく言うものではな い。その前提でプレーしながら、「ここはおかしい」という部分は素知らぬ顔で切り 捨てる。

同じDFでは、松田直樹と森岡隆三はトルシエと決定的な衝突を起こしている。 中田浩二は「トルシエに怒られたことがない」という。それでいて宮本恒靖ほど監督 に忠実だったわけでもない。

W杯のベルギー戦で日本はフラット3の弱点を突かれ、DFラインの押し上げと すれ違うように2列目から飛び出されて、痛恨の同点ゴールを決められた。この失点 が転機となって、DF陣はトルシエの指示通りにラインをむやみに上げることを放棄 する。相手がボールを下げたら少しでもラインを上げるという原則は守りつつも、状 況によっては引いて構えることで、ロシア戦以降の安定を手にした。

「隆三さん(森岡)だったら、あそこまで無理にDFラインを上げなかった。で も、ツネ(宮本)は上げる人。(故障の森岡に代わって)ツネが入った直後にベルギ ーは狙ってきたのだと思う。まあ、あの失点が次の勝利につながったわけですが」。 ロシア戦までの4日間、守備陣はDFラインの高さについて議論を重ねた。

「ツネは真ん中だから前に詰めなくてはならない場面でも、僕とマツ(松田)は 無理に上がらず、残ることにした。ツネもそうだねという感じだった。イングランド のふたりのセンターバックがアルゼンチン戦で、引いて構えて相手をはね返していた のも参考になった。俺たちにもできるんじゃないかと」

フラット3という戦術の考え方自体が間違っていたわけではない。もう少し戦術 の細部を詰める必要があっただけだ。状況によっては約束事から離れてプレーしなけ ればならないのに、選手が戦術に縛られ過ぎてピンチを招くケースも少なくなかっ た。

ベルギー戦の問題のシーン。日本がクリアしたボールが相手に渡っても、だれか がしっかりプレスを掛けてDFの裏への配球を断つか遅らせていれば、約束通りDF ラインを上げても問題はなかった。相手がボールを自由に扱える状況では、宮本は押 し上げを止めるべきだった。

さらに言うなら、2列目から出てくる選手にだれかが気づき、意識を「ライン操 作」から「つぶしに行くこと」に切り替えていれば、危機は回避できた。ただ、どう してもラインで動くトルシエの戦術のもとでプレーしていると、マークの意識は希薄 になる。

押し上げを見透かして裏のスペースに走り込んでくる相手を、ライン操作の途上 でつかまえるのは難しい。しかも、その相手をボランチがつかまえ驍フか、DFが詰 めるのかもあいまいなままだった。ならば危険な時間帯には最初から、自動的な押し 上げを放棄してしまった方がいい。ベルギー戦後、DF陣が出した結論は間違ってい ない。

ロシア戦以降、宮本のライン操作に無理があると感じるたびに、周囲は注意を喚 起した。また、トルシエはロシア戦後もチュニジア戦後も「ラインが低すぎる」と小 言を漏らしたという。

フラット3の運用の仕方には、森岡も含めた4人のDFの生きざまが投影されて いる。中田浩二はトルシエと出会う前から現実路線を歩んできている。かといって流 されて生きているわけでもない。冷徹とも言える強さを持つ。

鹿島には秋田豊という日本を代表するDFがいる。中田浩二はDFにコンバート されても、秋田に教えを請うことはなかった。むしろトルシエの戦術を飲み込むこと に苦労した先輩の方が、中田浩二に尋ねることが多かったという。

「秋田さんはヘディングだけでなく、相手への応対の仕方が本当にうまい。見て いるだけで、こういう詰め方もあるのかと勉強になる。でも、それは秋田さんのタイ ミングであって、僕のタイミングではない。だから聞いても仕方がない」。この骨の 太さがなければ、国を背負うチームで、DFという全く新しい分野を任され、世界の 強国と堂々と渡り合うことはできなかったはずだ。

やっかいなことに、初めてDFに挑戦するというのに、トルシエの守備戦術はノ ーマルではなかった。常に3人でラインを形成して守れといっても、ラインを崩して 1人で出て行かなくてはならない場面がある。「例えばFWがドリブルしてきた時、 いつラインから離れて当たりに行っていいのか。そのタイミングが一番、難しかっ た」と振り返る。

'99年ワールドユースで全7試合にフル出場、五輪代表としてもシドニーを目指し て戦いつつ、'00年2月のメキシコ戦から日本代表にも呼ばれるようになった。試行 錯誤を繰り返しながら、'01年のコンフェデレーションズカップでカメルーンを無失 点に封じたあたりで、自信をつかんだという。

不慣れなポジションを任せたからこそ、トルシエは中田浩二にだれよりも多く経 験の場を与えたのだろう。また、左足のフィードによって攻撃の最初の有効な一手を 打てるこのDF抜きには、自分が目指す攻撃的なサッカーは成り立たないとも考えた はずだ。

それにしてもトルシエは中田浩二のどんな特性にほれこんでいたのか。「たぶ ん、守備だけでなく攻撃への貢献度を評価してくれたのでしょう。それに、なかなか 見えない部分なのですが、ポジショニングで勝負するあたりも買ってくれていたのだ と思う」

相手の攻撃の芽を摘むには、何も激しいチャージが必要なわけではない。正しい 位置に立つことによって、攻撃を遅らせる、あるいは断つこともできる。

W杯のロシア戦。中田浩二が構える左サイドにはカルピンが張り出し、チトフら が援護してきた。ロシアはもっぱら(日本の)左サイドから攻めを構築したため、中 田浩二は左にずれ、アウトサイドの小野伸二との連携で対応に追われた。

「とにかく不用意に飛び込まず、攻めを遅らせることを考えた。相手の前にしっ かり立てば、ロシアは(ドリブルで)仕掛けては来なかった」。前が詰まれば無理せ ず逆サイドに細かくつないできたので、日本はプレスを掛けやすかった。見た目には 分かりにくいが、狂いのないポジショニングを維持し、正確に相手を危険区域から追 い出していく中田浩二の真骨頂だった。

W杯までの3年余を掛けて、中田浩二は自分なりの「DF像」を築いていた。ボ ランチからコンバートされ強く意識したのは、「自分たちが最後の砦なのだ」という 点だという。だから、不用意に相手の足元に飛び込まない。

「どうしてお前はスライディングタックルをしないのだとよく言われるけれど、 DFにはスライディングは不要だと思うんです。飛び込んで、抜かれてしまったら1 点を失うことになる」。スライディングタックルには博打(ばくち)の要素があると とらえ、プレーの選択肢から排除し、その流儀を守り続けてきた。

この慎重さは、W杯決勝トーナメント1回戦のトルコ戦を回顧した言葉にも表れ ている。日本は12分に早々と先制を許した。「当然、もう攻めるしかなかった。ただ し、DFが前へ前へとなってしまったら、チームのバランスが崩れて、2点、3点と 取られていたかもしれない」。だから、オーバーラップを増やすこともなかった。

博打を打たなければ勝利を引き寄せられない場合もある。だが、ぎりぎりの局面 でやけを起こさず、均衡を保ち勝機をじっと待つのも大事。中田浩にはそれが分かっ ている。窮地でこそバランスを重視するのも、スライディングという一か八かの策に 出ないのも、大きな試合だからこそ無理なDFラインの押し上げを放棄したのも、中 田浩二という男の生き方にかかわっている。

ナ近、にわかにあこがれを感じているのがオランダ代表のフランク・デブールだ という。冷静な読みで勝負する完成度の高いDF。安易に相手の足元には飛び込まな い。左足の正確なフィードは、'98年フランスW杯準々決勝でのアルゼンチンとの激 闘で、デニス・ベルカンプの歴史に残る芸術的なゴールをもたらしている。

なるほど、F・デブールと中田浩二のプレースタイルはかなりの部分で重なる。 中田浩二はW杯ロシア戦の51分、左からの低く鋭いクロスを柳沢敦につなげ、稲本潤 一の決勝ゴールを生んだ。前線のスペースへのロングフィード、サイドチェンジのパ スは日本の攻撃にアクセントを付ける大きな武器だった。


トルシエの慧眼(けいがん)によって、日本はこれまでになかったタイプのDF を手にすることができた。W杯の4試合を振り返って中田浩二は話す。「自分が持っ ているものはすべて出せたと思う。ただし、それは今の時点で持っている力であっ て、4年後を考えたらすべての点でレベルアップしなくてはならない」

中田浩二にはDFに必要な強さが足りないという声は常にあった。それは相手を はね返す力、ボールを奪い取る力を基準としての話だろう。だが、たとえその手の強 さが劣っていたとしても、守りようはあるのだということを、トルシエと中田浩二は 提示した。

日本が体格で強国を圧倒できる時代はおそらく来ない。そういう条件のもとで世 界と互角に戦って行くには、中田浩二がこの3年余りの間にできたこと、できなかっ たことを正しく検証しておく必要があるのかもしれない。


講談社のプライバシーポリシー
本サイトに掲載の文章、画像、写真などを無断で複製、流用することは法律上禁じられています。すべての著作権は株式会社講談社に帰属します。
Copyright(c)2003-2005 Kodansha Ltd. All Right Reserved.