
自然の流れにまかせた
ほうがいいと考えた
――アジアカップで一番印象に残っているのはやっぱりヨルダン戦ですか?
「そうですね。まだ代表の先発に復帰したばかりで、不安というかすっきりしないものを抱えたまま臨んだアジアカップだったから。ただ自分のベストを尽くして、高いパフォーマンスを見せれば、いい試合ができると信じていた。それが表れた試合だったと思います」
――どうして?
「イングランド遠征で(楢崎)正剛が怪我をして、ワールドカップ予選のインド戦で、僕にチャンスが来た。で、相手はインドだったんですけど、ゼロに抑えて、なにか久しぶりにいい感触をつかめました。でも、そのあとシーズン・オフに入ってしまったんです」
――その頃はデンマークのノアシェランに所属していたから、ヨーロッパに戻った。
「デンマークリーグとアジアカップの日程が重なっていたんですよ。実は僕はノアシェランでやるか、代表に行くべきなのか、悩んでいたんです。次の代表集合は1ヵ月後のキリンカップでした。キリンカップも先発は僕で行く、と言われていたんです。
キリンカップとアジアカップの間に3日間、代表は休みだったんですけど、クラブから『合宿に参加してくれ』とも言われていて、これは困ったなと。僕としてはデンマークリーグで試合に出たかったし、そのために合宿は大事だとも考えていた。代表でもインド戦でチャンスをつかんだ感触が残っていた。だから葛藤はすごくありましたね。ただ、自分のなかで自然の流れにまかせたほうがいいと考えたんです。
ノアシェランも最終的には『代表に行っていいよ』と言ってくれて。キリンカップのスロバキア戦、セルビア・モンテネグロ戦でもいいパフォーマンスを見せることができ、そのいい流れのままアジアカップに行けたんです」

試合終了とともにチームメイトは川口のもとへ走った。ジーコ・ジャパンはジーコ・ファミリーになろうとしていた
4年ぶりのPK戦
3本目で緊張がほぐれた
――ヨルダン戦、失点は前半開始早々だった。
「自分から見て右サイドを深くえぐられて。いいクロスでしたね。キーパーが前に出られるか、出られないかっていう難しいボールに対して、DFのマークがずれてしまい高い打点でヘディングされてしまった。ただ、僕としてはあまり慌てなかったですね。まあ1点くらい喰らっても、すぐに返せるだろうと思っていたから」
――すぐに鈴木隆行が同点ゴールを挙げた。
「そこから一進一退でしたね。ヨルダンも技術が高かったし、試合巧者というか、いいチームだったので、手こずりました。こっちも攻めたけど、向こうにも攻めるチャンスがあったし。緊迫した展開でしたよね」
――蒸し暑い中で90分、そして前後半15分の延長戦と長丁場の戦いとなった。フィールドプレイヤーは、体力の消耗は激しいけれど、集中力は保つことができる。逆にGKは体力はそれほど使わないけど、酷暑の中で集中力が切れてもおかしくない状況です。
「GKって集中力が一番大事ですよね。ただ、僕はプレーできる喜びを感じていたから、喜びがそのまま集中力に繋がって、いい精神状態でいられた。90分間が終わった時点で、延長戦を戦うことは確実だったんですが、同時にPK戦も覚悟してましたね。だから集中力は後半の途中からずっと切れなかった」
――PK戦を覚悟していたというけれど、試合中のPKとは違いがあるんですか?
「試合中のPKとPK戦は違うんですよ、感覚として。PK戦は戦略が立てられるんですよ、5回チャンスがあるから。でも試合中のPKは一発勝負。これはもう突発的なものになりますから難しいですよね」
――「5回チャンスがある」というのは最初の3回は右に飛んで、そのあと左に飛んでやろう、とかっていうことですか?
「そういうことではないですね。でもこれは明かせないなぁ(笑)」
――キッカーよりも先に動くタイプ? それともボールが蹴られてから動く?
「それも状況によりますよね。PK戦の流れを感じて、状況を見て判断する。先に飛ぶこともあるし、ボールに反応することもある。最後の一瞬まで我慢することもありますよ」
――そして、実際PK戦にもつれこんだ。先攻の日本の1番手、セットプレーの名手である中村俊輔が外した。三都主アレサンドロも外して、0‐2。宮本恒靖がPKをやっているゴール前の足場の悪さをアピールした。
「ツネがアピールしていたことに実は最初、気づかなかったんですよ。ヨルダンの選手がまったく動かなかったから。『早く蹴ってくれよ』って思ってたんです。で、向こうを見たらツネが何か話してた。『何話してるんだ?』くらいに思っていただけなんですよ。そんな程度にしか思わなかったですね。周りが何をしているかなんて全然わからなかった」
――そして、アピールが認められて、反対側のゴールでPKが再開しました。そして、決められたら日本の敗戦が決まるヨルダンの4人目のPKを見事にセーブ。
「僕から見て右に反応したんですね。左手にかすらせてバーに当てた。ただ、このPKのひとつ前、決められてしまったヨルダンの3人目のとき、逆を突かれたんですけど、一応飛んだんです、喰らいつく感じで。あれで結構吹っ切れたんですよ。1人目、2人目と決められたときは動けていなかった。2本とも逆を取られたんですけど、ほとんど動けなくて。でも3人目、あれで力がふっと抜けたんですよね、なぜだかわからないんですけど。あれで力みが抜けましたね」
――どこか力んでいたんですね。落ち着いて集中していたんではなくて、肩に力が入っている状態だった。
「そう、力んでた。僕自身4年ぶりのPK戦だったんですよね。すごく緊張してたんだと思います。それで硬さがあったんだと思う。でも逆を突かれながらも飛んだ、あのワンプレーで緊張がほぐれた」
相手の動きが見えた
完全に見えたんです
――決めれば試合が終わるヨルダンの5人目は、川口選手から向かって左に枠を外した。
「あれね、僕としてはあの5人目が心理戦として会心のPKでしたね。決められたらヨルダンの勝ちが決まるPKだったじゃないですか? こちらのほうが状況としては完全に不利なのに、相手の動きが完全に見えたんです。こっちに来るだろうなっていうのが完全に見えた。自信を持って見えた。なんで、と言われても困ってしまうんですけど。あのシュートは枠に行ってても止められる自信があった。決められれば終わりって場面ですごく相手の動きが見えて……会心の読み、会心のプレーでしたね」
――互いに5人を終えて3‐3。振り出しに戻って、ここからがサドンデス。先攻の日本は中澤佑二が決められず再び、ピンチ到来。
「サドンデスになっても自信がありましたね。佑二が外しても僕は動じなかった。6人目は左に飛んで右手ではじきました。あのときは何も考えていなかった。止めたときはボールをしっかり見ていたと思うんですけど、意識としてはどこを見ていたんだろう、覚えてない(笑)。そういう極限の精神状態でした。
だいたい、キッカーの上体の動きとか軸足の位置とかいろいろ見ようとしているときって、僕だけかもしれないですけど、PKを止められないんですよ。その全体の空気……、雰囲気を読み取れているときは止められる。技術的、理論的なものじゃないです。どちらかというと感覚的なものなんですよ」
――その後7人目の宮本が決め、ヨルダンが外し、勝利しました。優勝へ向け弾みとなる試合だったし、あの試合でヤ日本代表ユがひとつになった印象があります。
「そうですね。あのときはみんながひとつにまとまりましたよね。長い大会のなかで、フィールドプレイヤーもサブの選手たちを含め、いろいろな思いがあったと思う。そんななか『絶対に優勝するんだ』という積極的な気持ちにみんながなれた試合だったと思うんです。
僕にとってもヨルダン戦は、ひとつのハイライトでした」
YOSHIKATU KAWAGUCHI
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日、静岡県生まれ。179cm、78kg。清水商高を経て'95年、横浜マリノスに入団。'96年アトランタ五輪、'98年ワールドカップに出場。'01年途中にイングランド・ポーツマス(当時ディビジョン1)に移籍も出場機会に恵まれず、'02年ワールドカップでは楢崎正剛(名古屋)に正GKの座を明け渡す。デンマーク・ノアシェランを経て、'05年、ジュビロ磐田に移籍。今年は正GKとしてワールドカップ出場を目指す。
国際Aマッチ84試合75失点(ジーコ体制下=31試合25失点)※記事掲載時
……以上インタビュー全文。
試合分析含めた記事全文は本誌『フットボールニッポン2006春号』でごらんください!