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vol,2 フットサル観戦記 inマレーシア (16 Jun, 2003)
プトラ・スタジアム
スポーツイベントのほか、コンサートなどにも使われる。選手・関係者はそのまま地下駐車場に入っていくので、ファンに囲まれるなどの心配は一切ない。

マレーシア・クアラルンプール市内からスターLRTという電車に乗ること約20分。ブキット・ジャリル(Bukit Jalil)駅を出ると、10万人収容の陸上競技場をはじめ、各種スポーツ施設が集まった「ナショナル・スポーツ・コンプレックス」が目の前に広がる。陸上競技場のまわりを時計りに90度ほど歩くと、プトラ・スタジアムが姿をあらわす。

6月に入って、欧州フットボールのシーズンもほぼ終わり、世界各地で国際試合が行われているが、フットサルの世界も例外ではない。日本ではほとんど報道されなかったが、6月3日から8日まで、クアラルンプールで「KL World 5s」というフッ トサル・トーナメントが行われていた。その会場として使用されたのが、収容人員1万6000人を誇る屋内競技場、プトラ・スタジアムだ。中に入ると、コンコースには各スポンサーのブースが設置されていて、賞品を手に入れようと子供たちがゲームに熱中していた。

スポンサー・ブース
マレーシアではなぜかレストランのドリンクメニューにもMiloがあったりする。

この大会には南米、ヨーロッパから強豪が集まり、日本代表にとってはこれらの国々と真剣勝負をする貴重な機会となる。……はずだったのだが、直前になってSARS騒動の影響で2000年世界選手権王者スペインやイタリア、オランダなどが出場を辞退。少し寂しい顔ぶれになってしまった(ちなみにマレーシアはWHOから感染地域には指定されていない。念のため)。実は、所属先から止められて、この大会に参加できなかった日本代表スタッフも数人いた。


日本応援団
日本の試合があるときには必ず駆けつけた。最終日には選手とともに「ニッポン」コールで盛り上がった。

6月5日、日本代表はグループリーグ1位をかけて、アルゼンチンと対戦した。大阪・長居でサッカー日本代表が同じアルゼンチン相手に1‐4で敗れる3日前のことである。観客席では現地在住の日本人が日本代表のレプリカユニフォームや赤いはっぴを着て、日の丸を振りながら応援している。試合前から周囲のほかの観客も巻き込んで「ニッポン・チャチャチャ」が鳴り響く。

FIFAアンセムが流れる中、フェアプレーフラッグを先頭に両チームの選手が入場。国歌演奏から記念撮影へと続く流れは、サッカーの国際試合とまったく同じだ。2003夏号「EXTRA Blues」で注目した金山友紀選手(CASCAVEL)は3日のインドネシア戦で2得点をあげる活躍をしたものの、右ひざのケガが悪化しこの日はベンチ入りもせず。彼のスピードが世界を相手にどこまで通用するのか見てみたかったのでちょっと残念だ。

選手入場
お互いアウェーのユニフォームで登場。日本の先頭を歩いているのはキャプテンの市原選手。

そして、キックオフ。ところが1分もしないうちに、自陣でボールを奪われアルゼンチンに先制点を許してしまう嫌な立ち上がり。12分にはカウンターから2点目を失ってしまう。その2分後、鈴村拓也選手(神戸ハーバーランド)のパスを受けた渡辺淳一選手(Midfield)が左サイド深くから中央に折り返すと、ボールは相手DFに当たってそのままゴールへ吸い込まれ1‐2。しかし、これで逆にアルゼンチンの攻勢が強まってしまう。結局1‐5で完敗した日本はプレート・コンペティション(2位トーナメント)にまわることになった。

イタリア・(フットサルの)セリエA、IFCチャンピーノで1年間プレーした経験を持つ相根澄選手(CASCAVEL)は、「イタリアで対戦したことのある選手が何人もいた。あの時は僕も対等に戦っていたんだし、この日本代表のメンバーならもっといい試合ができたはずなのに」と悔しがっていた。

KL紀伊国屋書店
マレーシアで「日本」を目にすることは多い。テレビをつけるとドラゴンボールZやクレヨンしんちゃんをやっていたりする。

翌日、クアラルンプールの中心部、KLCC地区にあるペトロナスツインタワー(高さ452mは世界一)に隣接する伊勢丹2階の紀伊国屋書店・日本書籍売り場にて『FOOTBALL Nippon』を発見。価格はRM42.40(単位はリンギット。日本円にして約1350円)だった。この日、日本代表はプレート準決勝でウズベキスタンと対戦。「PLAY×FOOT」に登場してくれた前田喜史選手(CASCAVEL)の先制ゴールもあって、3‐2で競り勝ち、決勝に駒を進めた。

サイン会
「日本でもこんなサイン会やらないですよね」「だってヒト集まらないでしょ」「……」

7日は試合がなかったが、日本代表はクアラルンプール随一の繁華街、ブキット・ビンタン(Bukit Bintang)にあるショッピングモールで開かれたサイン会に参 加。大会のPRを兼ねて行われたこのイベントには、たくさんの買い物客が足を止め、1列に並んでサインをもらっていた。その後、日本代表はプトラ・スタジアムでプレート準決勝のもう1試合、タイ‐グアテマラの試合を視察。この試合は延長にもつれ込み、ゴールデンゴールでタイが勝ったのだが、藤井健太選手(MAG'S FUTSALCLUB)は「どうせならグアテマラとやりたかったな。せっかく世界からいろんな国がきているのに、アジアの国とばかりやってもね」と話してくれた。

表彰式後の記念撮影
表彰式後の記念撮影の様子。6日間お疲れさまでした。

ついに8日は決勝戦。15分までに2点をリード。一度は同点に追いつかれるが、再び突きはなし、4‐2とした後半13分、金山が2枚目のイエローカードで退場。ちょっとかわいそうな判定だったが、ここからタイの怒涛の反撃が始まってしまう。パワープレーの間に1点を失って4‐3。人数が5対5に戻ってからも(注)、流れはタイに傾いたまま。最後はGKまでもが攻撃に参加して、同点ゴールを奪いに来たタイだったが、日本も必死のディフェンスで応戦しタイムアップ。みごと日本はプレート・チャンピオンに輝き、賞金1万5000USドルを獲得した。原田理人監督に「大変な試合でしたね」と聞くと、「国際試合に簡単な試合なんてないですよ」と言われてしまった。

翌日の現地新聞
9日の現地の新聞。ページをめくってもアルゼンチンとマレーシアだらけ。なかには日本の記事がわずか2行のものも。

翌9日の現地新聞各紙に「KL World 5s」最終日の結果が掲載されたが、ボウル・コンペティション(3位トーナメント)で地元マレーシアが優勝、カップ・コンペティション(1位トーナメント)では、アルゼンチンが延長戦の末、ブラジルから歴史的な初勝利(それだけフットサルではブラジルが圧倒的に強いということ)をあげたとあって、残念ながら「日本プレート優勝」の記事はほんの少ししかなかった。


ところで、7月末から東京と大阪で行われる予定だったアジアフットサル選手権は、これまたSARS騒動の影響で日本が開催を返上し、イランで行われることに決まった。ようやくフットサル日本代表が国内で見られると思っていたのでとても残念だ。ぜひ今後、国内でフットサルの真剣勝負を楽しめるチャンスを作ってください。お願い、キャプテン!!

(注)フットサルでは、退場者が出ても2分が経過すると(退場した選手とは別の)選手を補充できる。また人数が少ないチームが失点した場合には、2分が経過する前に選手を補充できる。今の場合、タイに3点目が入った時点で日本は5人に戻っている。もとの文章に戻る
(2003年6月10日 岡本)

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