小説、漫画、イラストーリーと様々な形式を駆使し、五百ページを超える一冊の中に膨大かつ異様な情報を詰め込み、ヘヴィーでフリーキーな「もうひとつの昭和」……架空の昭和三十年代〈東京〉を幻写する、まさに「ゼロ年代の奇書」と言える『空想東京百景』。
それは「講談社BOX」レーベルの限界を問う、ハードコアなプロジェクトであった!
作業開始から二年半――試行錯誤の末に編集作業を終えた講談社BOX編集部と担当編集者・太田克史が、著者・ゆずはらとしゆきに『空想東京百景』プロジェクトの真意を問い質す!
(インタビュアー・講談社BOX編集部+太田克史)
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| ついに発売までこぎつけた『空想東京百景』ですが、長い間おつかれさまでした! |
| ゆずはらとしゆき(以下、ゆずはら) |
いや、本当に長かったです。こうして現物を目の前にすると、感無量というか――元々、単行本化が決まったのは、『ファウスト』Vol.6が終わった直後だったんですが、その時点では、講談社BOXはまだ創刊していなかったので、「画集サイズの大判単行本にしようか?」という話をしていたんですよ。
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| ということは、編集作業だけで二年半! |
| ゆずはら | でも、書き下ろし作業自体は半年くらいで終わったので、小学館さんの依頼を引き受けたんですよ。それは『十八時の音楽浴 漆黒のアネット』という単行本になっているんですが、後から依頼を受けた方が先に出るとは思わなかったですね。引き受けて良かったというか、引き受けてなかったら『空想東京百景』の完成を見ることなく餓死していたんじゃないかな。
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| 怖いことを言わないでください。ぼくらは昨年の秋、太田さんから作業を引き継いだんですが、空白の一年間、何があったんですか? |
| ゆずはら | 一昨年の秋に「これから大河ノベルの二冊同時刊行で激ヤバいので、ちょっとだけ後回しでいいですか?」と言われたんですよ。そのまま初校を一年間放置プレイされるとは……太田さんを甘く見ていましたね。
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太田克史 (以下、太田) | え、何を甘く見ていたって?
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| 太田さん! いつものことですけど、完全に遅刻ですよ。 |
| 太田 | 「時の刻みは俺にはない……」。 で、何の話をしていたんですか? |
| えーと、「こんな素晴らしい単行本になるなんて、太田さんの編集者としての手腕を甘く見ていましたね」という話をしていたんですよ。 |
| 太田 | そうなんだ! いやあ、嬉しいですね。 |
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002――現代の「奇書」はこうして作られた! |
| これは言い訳になってしまうんですが、あまりにも「奇書」というか、太田さんから作業を引き継いだ時点では、どう動けばいいのか、まったく分からなかったんですよ。ゆずはらさんの脳内にしか正確な完成イメージがない、と言ってもいいくらい、前例の無い仕様だったので。 |
| ゆずはら | 最初、単行本のイメージは、架空のゲームの攻略本や設定資料集を作るような感じで考えていたんです。あと、晶文社のヴァラエティ・ブックですね。雑多な情報が詰め込まれている都市を書こうとすれば、雑誌に近づいていくのは当然のことですから、「平行世界〈東京〉の歩き方」みたいな本になれば面白いだろうな、と思っていました。ただ、『漆黒のアネット』の作業が終わった後、単行本全体のバランスを取ろうと思って加筆修正を始めたら、予想以上にイメージが溢れ出してしまったのは、ちょっと誤算でした……。
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| 太田さんには「この本が作れれば、小説、漫画、画集、辞典……どんなジャンルの本でも作れるはずだ」と言われましたが、正直、頭を抱えてしまいました。 |
| 太田 | いや、絶対に必ず作れます!
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| ゆずはら | 『空想東京百景』シリーズは、他の作品とは違う書き方をしていたというか、ある意味、小説であることを放棄しているんです。〈矢ノ浦小鳩〉という狂言回しはいますが、「主人公」はむしろ、昭和三十年代の平行世界〈東京〉という世界観そのものというか……。
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| 『空想東京百景』シリーズでは、群像劇を目指していた、ということですか? |
| ゆずはら | 群像劇というか、群体劇ですね。平行世界〈東京〉には、様々なキャラクターが存在していますが、個々の物語を書くというよりは、都市にまつわる情報を可能な限り詰め込んでやろう、という意識が強いんです。あと、『空想東京百景』の世界観を使って、読者が心々に物語を展開していただければ、と思っていました。
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| 虚実入り交じった註釈など、作品世界を異様に作り込まれていますが、物語の解釈自体は読者に委ねる、と? |
| ゆずはら | はい。情報の整理はしていますが、削ぎ落とすよりは過剰であろうと思っていました。その方が想像の選択肢も多くなりますし。ただ、本文中に情報をすべて盛り込むと、読者側の身動きも取れなくなってしまいますから。 |
| 太田 | たとえば、『ひぐらしがなく頃に』はTIPSという形式で、選択肢のないシナリオを補完し、物語の枠を拡充していますが、『空想東京百景』の場合は、膨大な註釈と複数の表現形態で読者の認識を攪乱することに成功していますよね。 |
| ゆずはら | 究極的に言えば、本編はなくても良いんですね。本編の代わりに、本編の周辺情報が過剰に存在していて、読者の脳内でそれぞれの本編が生成されていくのが理想なんです。だから、ぼくが書いている物語は本編のサンプルに過ぎないというか、無数に存在する平行世界〈東京〉の一つだと思っています。 |
| 太田 | 独特の酩酊感があるというか、過去のサブカルチャーのアーカイブから引用した周辺情報が過剰に網羅されることで、読者の側でも空想が限りなく展開されていくんですね。 |
| ゆずはら | 確かに情報過剰な世界観ではあるんですが、その一方で、いい加減なホラ話でありたいとも思っているんですよ。先天的に読者と同じ価値観を共有できる天才でしたら、書きたいことをそのまま書いても娯楽作品として機能しますし、コンパクトにまとめることもできるんですが、ぼくは自分の価値観を異端だと思っているので、途方もなく圧倒的なスケールの与太話を書く必要があるんですね。 |
| 太田 | ゆずはらさんは与太話と言いますが、虚実入り交じった「語り」というのは、文芸の原点だと思うんですよ。 |
| ゆずはら | まァ、空想のスキマがないとサンプルとして機能しないというのもあるんですが。
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| 「途方もなく圧倒的なスケールの与太話」を構築していく上で難しかったのは、どの辺でしたか? |
| ゆずはら | 惹句にも「〈奇書〉にして〈暗号〉。解読表を持つ者だけが、真の『空想東京百景』を視る――」とありましたが、情報群を〈暗号〉化するさじ加減というか、虚実のバランスを取ることですね。複数の表現形態が混在しているのも、虚実の境界線をより曖昧にしていくためです。読んでいる間はぐるぐる酩酊しているんだけど、翌日にはきれいさっぱり忘れて何も残らない。そして、何かの拍子に一瞬思い出すんだけど、また忘れてしまう――そういう作品になればいいな、と思っています。 |
| 太田 | 小説、漫画、イラストーリーといった複数の表現形態が混在しつつ、カラーページや注釈がガンガン入ってくるため、DTP的にも未知の領域が多くて、現場はかなり苦労していました。 |
| ゆずはら | 尋常じゃない量の情報を扱うことになってしまったので、DTPオペレーターさんが編集部に常駐していることが、すごく有り難かったですね。テキストとイラストが混淆するページは、延々と微調整を繰り返していましたから。 |
| 太田 | デザイナーのヨーヨーラランデーズさんは、ゆずはらさんからご紹介いただいてお仕事をお願いしたのですが、こちらも二年半にわたって作業していただいて、申し訳なかったです。
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| 特に、最後の方は大変なことになっていましたからね。ゆずはらさんも最後の方は連日、編集部に来て釜飯を食べていましたし。 |
| ゆずはら | ええ、あの頃はとにかくお金がなかったので、編集部でご馳走になる釜飯が唯一の栄養源で……いや、作業もしていましたよ。ゲラが出るたびに編集部でブラッシュアップをしていたんですが、本当に、関係者の方々には多大なるご迷惑をおかけしました。
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| 最終校了中に全体のテキスト量を計算したら、大河ノベル換算で数冊分あったんですよ。その瞬間、太田さんが「こんな面倒くさい本、もう二度と作りませんからね! ゆずはらさん!」と絶叫したのが印象的でした。 |
| ゆずはら | 一通りチェックするだけで、半日かかりましたからね。逆に最終校了が終わった時は、みんなすっかりナチュラル・ハイになってて。
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| むしろ、ランナーズ・ハイというか……。 |
| 太田 | いやー、五百ページ以上もあるのに、単色刷りが最後の一折だけで、あとはオールカラーで刷っているんですよ。まさに「奇書」の名に相応しいというか、こんなヤバい本はないですね! |
| ゆずはら | でも、危うくデスマーチになりかけた原因の半分くらいは太田さんですよ。ぼくが冗談半分で書いた案にすべてOKを出して、更に思いついたことをどんどん企画書に書き入れていくんですから。制作コストから逆算して著者の思いつきをカットしていくのが編集者だと思っていたので、正直、かなり驚きました。 |
| 太田 | いやいや、その方が面白いじゃないですか。きっと十年後には凄い古書価がつくと思いますよ! |
| ゆずはら | ……十年後まで生きているかな。 |
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003――『空想東京百景』は不完全? |
| 『空想東京百景』という作品は、どのような経緯からスタートしたのでしょうか? |
| ゆずはら | 太田さんには前に話しましたが、『ファウスト』に連載していたのは第二期シリーズで、「幻の第一期シリーズ」というのがあるんですよ。当時の担当さんから「toi8さんという、とても上手いアニメーターがいるんだけど、今度、イラストレーターの仕事も始めることになってね。そこで、toi8さんのイラストを活かす企画を考えてくれないか」と言われまして。 |
| 太田 | だから、『空想東京百景』は、toi8さんのイラストレーターデビュー作でもあるんですよ。 |
| ゆずはら | ええ。でも、納期までの時間がなかったので、toi8さんから預かったポートフォリオと、机の中に封印していた空想ノートを照らし合わせつつ、「平行世界〈東京〉を舞台とした、少女探偵・矢ノ浦小鳩の昭和三十年代伝奇的探偵帖」というコンセプトの企画書を一晩で書き上げ、イメージボード風の予告編を描いていただいたんです。で、次の月には連載が始まっていたんですね。
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| 『空想東京百景』の舞台は架空の昭和三十年代〈東京〉ですが、その世界観を選んだ理由と、ゆずはらさんが「もうひとつの昭和」を好んで書く理由を併せて教えていただけますか? |
| ゆずはら | toi8さんの絵は、巧みなキャラクター造形も魅力ですが、それ以上に緻密な背景描写が素晴らしいので、嘘と本当、虚構と現実が紙一重の世界観であればあるほど、絵の魅力も高まっていくと思ったんですね。
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| あの世界観は、空想ノートの時点で基本形があったんですか? それとも、toi8さんの絵から一気呵成に作り上げたんですか? |
| ゆずはら | どちらとも言えるんですが、toi8さんの絵柄や背景描写を活かすための選択が偶然、ぼくの「昭和」趣味と合致していた、という感じですね。元々、絵描きさんの絵柄やパブリックイメージに合わせて漫画原作を書いていましたから、『空想東京百景』を始めるまでは、自分の中で「もうひとつの昭和」は前景化していなかったんですよ。逆に言うと、toi8さんの絵と出会わなかったら、『空想東京百景』という作品で表現することもなかったと思います。
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| ゆずはらさんは、昔から「昭和」趣味だったんですか? |
| ゆずはら | 物心ついた頃から、図書館で新聞の縮刷版を眺めたり、名画座で古いプログラム・ピクチャーを観たりするなど、昭和のサブカルチャーがすごく好きだったんです。どうしてそうなったのかは自分でもよくわからないんですが、父親が太陽族世代のノンポリだったので、なんらかの文化的な影響を受けていたのかも知れませんね。「昭和」の歴史記録はだいたい、左右のイデオロギーによって偏向していますから、資料として使うにはそれを見抜くことが重要なんですが、知らず知らずのうちにその見方を教えられていたような気がします。
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| 出身はやっぱり、東京ですか? |
| ゆずはら | ぼく自身は郊外に住んでいますし、地方出身者とのハーフなんですが、父方の生家は江戸の朱引きから東京に住みついている旧家ですね。 |
| 物語の中でも「虚実取り混ぜて」様々な映画の話をしていますが――。 |
| ゆずはら | 昭和三十年代の邦画が好きで、特に日活無国籍アクションが好きなんですよ。小林旭さんの『黒い賭博師』とか、宍戸錠さんの『殺しの烙印』『拳銃(コルト)は俺のパスポート』とか……。 |
| 無国籍アクションの中でも、見事にハードボイルド色の強い作品ばかりですね。
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| ゆずはら | ただ、ハードボイルドのジャンル的な様式美よりは、通底している「都市生活者の倦怠感」に惹かれますね。昭和のプログラム・ピクチャーには、石原慎太郎さんの『狂った果実』『完全な遊戯』『乾いた花』、安部公房さんの『燃えつきた地図』、梶山季之さんの『黒の試走車(テストカー)』『女の警察』など、中間小説が原作の作品に「都市生活者の倦怠感」を描いたハードボイルドな傑作が多くて、映画を観てから原作小説を読んだ作品も多いんですよ。 |
| 古い特撮ドラマやアニメのイメージも随所に入っていますが――。 |
| ゆずはら | 子供の頃は、「ケイブンシャの大百科」を片手に、早朝や夕方の再放送をよく観ていました。マーチャンダイジング的な都合や技術的な問題もあって、大人からは「ジャリ番」と呼ばれていましたけど、テーマやコンセプトの部分は骨格が太かったりするんです。だから、上手いこと換骨奪胎すれば、現代でも通用するかな、と思って、中学生の頃から「空想」というか「妄想」を延々とノートに書き留めていたんです。 |
| その空想ノートが『空想東京百景』に繋がっているんですね。 |
| ゆずはら | 結果的には繋がっていますし、良く言えば「構想十年!」なんですが、結局、一度は黒歴史にした中二病が再発してしまったような気も……。 |
| 太田 | いやいや、何事も極めれば天に通じると言いますから、決して恥じることはないですよ。 |
| さっき、石原慎太郎さんや安部公房さんの名前が出ましたが、他に「もうひとつの昭和」を書いていく上で影響を受けた小説はありますか? |
| ゆずはら | 架空の日本を書く小説だと、矢作俊彦さんの『あ・じゃ・ぱん』や、村上龍さんの『五分後の世界』などがありますが、『空想東京百景』では、どちらかというと「戦後」に主眼を置いていますから、小林信彦さんの短編『サモワール・メモワール』の方が近いと思います。あと、ファンタジーな世界観の匙加減は、小野不由美さんの『東京異聞』とか。戦後やリアリズムの扱いに関しては、林静一さんの『ph.4.5 グッピーは死なない』という漫画が好きで、大きく影響を受けていますね。 |
| 『あ・じゃ・ぱん』や『五分後の世界』の舞台は「日本」ですが、ゆずはらさんがこだわるのは、あくまで「東京」なんですね。 |
| ゆずはら | それはやっぱり、東京出身だからでしょうね。ぼくはおそらく、太田さんの担当作家で唯一の東京出身者だと思うんですよ。ただ、「地方」の読者にこそ読んで欲しいという『ファウスト』の方向性とは相容れないので、どうして『空想東京百景』の連載が続いていたのかなー……と。 |
| 太田 | うーん、でも、本物の「東京」って、地方人の「空想」の中にしか存在を許されないものなんじゃないかなって思うけど。 |
| ゆずはら | なるほど、そうだったんですね。手厳しいなァ。確かに、大半の日本人にとっての「東京」は、地方人が憎悪を抱いて安心するための仮想敵――「虚構」なのかも知れませんが、そうなると、地方人の「空想」の中にしか存在を許されない都市に生まれたぼくはデラシネ(根無し草、故郷喪失者)であり、幽霊ということになってしまう。だから、こうして『空想東京百景』を書いていることも、案外、実存的な切実さを伴っていたりするんですよ。ぼくは「東京」を愛しているので――。 |
| 「もうひとつの昭和」でありながら、仮想戦記やポリティカル・フィクションを志向していないのも特徴的です。 |
| ゆずはら | 「国家」に視点を置くよりも先に、「都市」に視点を置きたいというのがあるんです。戦争や政治といった大局的な状況をゲーム的に捉えるのは確かにダイナミックで面白いんですが、『空想東京百景』では、状況の部品としてキャラクターを動かすことで世界を俯瞰するのではなく、状況に直接関与しない個人的なエピソードの集積で世界を捉える感じにしたかったんです。 |
| 太田 | 意識的に『新世紀エヴァンゲリオン』以前の手法、膨大な世界設定で埋め尽くす偽史へと回帰しているのが、『空想東京百景』という作品の面白さの中核でしょうね。実はそこにはセカイや萌えといった感覚は一切ない。少なくともゆずはらさんの中には全くない、はずだと思います。 |
| ゆずはら | 全くない、とは言い切れないのですが……たとえば、一神論的な思考を一対一の対人関係へダウンサイジングするタイプの「セカイ系」が行き詰まっているのは、日本が八百万の神々の国――汎神論の世界であることの証明ですから、悲観的になる必要はないと思っているんです。「萌え」にしても、物語の代わりに中心へ据えて、起承転結に伴う精神的苦痛を取り除こうとするアプローチがいろいろと不具合を起こしているだけで、あくまで物語構成手法の一つとして考えれば、可能性は十分あると思っているんです。ただ、ぼくの同世代の友人たちは、セカイか萌えを主体に置いて考えている人が多いので、酒の席では必ず異端審問に遭いますね。逆に『空想東京百景』を渡すと、読んでいるうちに拒絶反応を起こして、吐いたりするんですよ(笑)。 |
| 太田 | 『空想東京百景』という作品は、そのような物語構成手法の変化の空隙状態を踏まえた上で、古い伝奇的手法へ回帰するというアプローチを今あえて採ったということが興味深いですね。 |
| ゆずはら | 「都市」というフィルタを通して、世界を覗き込むというか――個人と世界の間に「都市」を置くことで、ぼくが書きたい物語のイメージにやっと近づいてきた、という感じがしますね。 |
| でも、『空想東京百景』単行本の惹句は「新伝綺」ではなく「伝綺」です。これには何か理由があるんですか? |
| 太田 | これは、ゆずはらさんの強さであり、弱さでもあるんですが、中二病的な妄想力を知力で制御しようとする傾向が強い分、中間に挿入される超越的イメージの強度が足りないんですよ。読者の固定観念というか、世界認識を破壊するだけの突破力ですね。『空想東京百景』は物凄い密度で独特の世界観を構築しているけれど、その想像力の源泉はやっぱりクラシカルな古き良き伝奇的世界にある。その意味で、『空想東京百景』はかつて栄華を極めた伝奇小説の正統的な嫡子、後継者だと感じるんです。……と、いうのは全部嘘で、直感です。 |
| ゆずはら | 超人揃いの執筆陣に一人だけ不完全な超人もどきが混じっている、ということですね(笑)。ただ、太田さんの理想は強烈な一撃ノックアウトだと思うんですが、ぼくはボディブローの蓄積で世界認識を破壊できれば、と思っているんです。汎神論の世界に生きているという認識なので、抽象的観念論を物語の中心に据えて突破力を確保することには抵抗があるんですよ。だから、都市という超越的イメージにすべてを委ねることなく、世界を捉えるための触媒として書くことができれば、成功だと思っています。 |
| 太田 | それは分かります。でも、ちょっと厳しく言わせてもらうと、僕より若いくせに世界の理を分かったような、いつも一歩引いた賢しらな態度がいささか気に食わないんです。ゆずはらさんは非常にインテリジェンス溢れる作家で、本来持っていらっしゃるだろう野放図な妄想力を知力で過剰に制御している気がする。もっとも、その制御力こそが「ゆずはらとしゆき」の魅力なわけなんですが、僕はそろそろゆずはらさんの思い描く真の超越的イメージを全開で提示していただきたいと思っているんです。 |
| ゆずはら | そうですね――作品外の現実がすべて紙屑になってしまうくらい作品世界を野放図かつ精緻に構築していきたい、という欲望はありますよ。でも、その欲望は意識的にセーブしないと、「虚構」の闇に呑まれてしまいますから――。あと、天才ばかりでは世の中、上手く回らないというか、90年代のスワローズ黄金時代に土橋という存在が不可欠だったように、レーベルにはバイプレーヤーも必要だと思うんですよ。言い換えると、超越的イメージを提示したとしても、それをミニマムな生活レベルから捉えていくのが自分の資質に合っているんじゃないかな、と思うんです。 |
| 太田 | それはその通りだと思いますし、その役割を忘れてもらっては困ります。でも、これからのゆずはらさんは、それだけの作家ではあって欲しくない。僕としては、以前の内省的なスタイルから完全に抜けきっていないことが(まあ、そこがいいんですが)、ゆずはらさんの創作の足枷になっているんじゃないかという歯痒さがあるんですよ。 |
| ゆずはら | 確かに迂遠で内省的だと思いますが、その辺は編集的な意志力でポップに仕上げていくことができれば、案外、なんとかなるんじゃないかな、とも思いますね。突破力で攻めなければメガヒットにならない、と言われるとちょっと痛いですが。 |
| 作品というよりは、一冊の本としてアウトプットされた状態で考えている、ということですか? |
| ゆずはら | 晶文社のヴァラエティ・ブックというか、リトル・マガジンというか、一冊の本に時代の空気を凝縮する雑誌的なスタイルを、小説でやってみようと思ったんですね。あと、超越的イメージの強度を欠いているなら、情報の集積密度――手数で勝負してやろう、というか、小説と挿し絵の融合実験――イラストーリーという、初期『ファウスト』のテーマを考え抜いた結果、自動的にあのスタイルへと導かれた、というのもあります。 |
| 太田 | 確かにビジュアルとテキストの相互作用という意味では、『空想東京百景』はイラストーリーの理想型の一つになったと思います。この型を上回る型は、そうそう出てこないと思うし、出てきて欲しくないなあ……。本当にいい本に仕上がっていると思いますよ! |
| 書き下ろしの『七つの顔と喰えない魂』に至っては、小説と漫画の区別が完全になくなっていますし。 |
| ゆずはら | 「イラストーリー」というフレーズを聞いて、まず思いついたのが『文藝春秋漫画讀本』で連載されていた『革命屋』という作品だったんです。それで、単行本作業を開始した頃に復刻単行本が出たので、単行本書き下ろしはこんな感じでやってみよう、と。 |
| それは、いつ頃の雑誌ですか? |
| ゆずはら | 昭和二十九年の創刊ですが、長尾みのるさんの『革命屋』は四十四年の連載です。少し後には、柴田錬三郎さんと横尾忠則さんの『うろつき夜太』という、もっとポップカルチャー寄りのコラボレーション小説もありましたし、「イラストーリー」という概念自体は、かなり古くからあったんですね。現在の漫画が台頭する以前には「絵物語」というジャンルもありました。だから、挿し絵付きの小説の未来はむしろ、過去のコンテンツにあるんじゃないかな、と思っているんですよ。 |
| 小説を一冊の本として、そこまでコンセプチュアルに考えている作家は、かなり珍しいと思います。 |
| ゆずはら | 作品の最終的なアウトプット――商品としての形態まで考えていかないと、講談社BOXという大舞台に上がることすらできないんじゃないか、という強迫観念もあるんですよ。90年代から00年代にかけてのサブカルチャーの現場で輝かしい実績を残したとか、メフィスト賞を取ったとか、そういう確かな出自を持っていないのに、スター軍団に紛れ込んでいる負い目というか――。 |
| でも、中二病を知力で制御してしまうのも、『バイオレンスジャック』のスラムキングが暴走する筋肉を甲冑で抑え込むようなものですから、それはそれで凄いと思うんですが……。 |
| 太田 | その通り! 『ファウスト』の『空想東京百景』に続いて、『パンドラ』でも『オタク・サブカル人間臨終図巻』を書いていただいているのは、ゆずはらさんの才能を信頼しているからです。僕はゆずはらさんを『仮面ライダーV3』のライダーマン、『仮面ライダーアギト』のG3みたいな存在だと思っていて、だからこそ、「新伝綺」でも「伝奇」でもない「伝綺」作品として『空想東京百景』を世に送り出したいんですよ。「新伝綺」と「伝奇」を繋ぐ存在として。 |
| ゆずはら | なんだか、エリオット・ローズウォーターに褒められたキルゴア・トラウトのような気分ですね。「ぼくはくそったれな諸君が大好きだ。最近はきみらの書くものしか読まない。きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのようなキじるしでなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない」――みたいな。 |
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004――遅れてきた新人作家? ゆずはらとしゆき |
| 失礼なんですけど、ゆずはらさんのこと、ぼくらはほとんど知らなかったんですよ。太田さんが担当している作家の中でもっとも謎の作家というか……。ゆずはらさんの今までの経歴を教えていただけますでしょうか。 |
| ゆずはら | 確かに、ずっと裏街道を歩いていましたからね(笑)。ただ、『空想東京百景』の場合は、それが幸いしたような気もするんです。時代の流行と関係なく世界観を作り込んでいくことができましたから。 |
| 太田 | それはそうなんですが、そろそろ表舞台に出てもいいんじゃないかと思いますよ。 |
| まず、子供の頃はどんな本を読んでいましたか? |
| ゆずはら | 小学生の頃は、母親が極度の本嫌いで、見つけると片っ端から捨てられていたんですよ。仕方がないので図書館に通ったり、本屋やコンビニで立ち読みしていました。学級文庫にも中沢啓治さんの『はだしのゲン』と楳図かずおさんの『漂流教室』があったりして、漫画を読む環境には困らなかったんですが。 |
| 『はだしのゲン』と『漂流教室』が並んでいる学級文庫って、かなり怖いですよ。 |
| ゆずはら | 台詞もほとんど覚えていますよ(笑)。あと、中学時代、近所にあった貸本屋に入り浸っていました。今から思うと、入手困難な漫画ばかりありまして、バロン吉元さんの『柔侠伝』シリーズ、石ノ森章太郎さんの『リュウの道』、小池一夫師匠の『少年の町ZF』、御厨さと美さんの『裂けた旅券(パスポート)』あたりが印象に残っています。 |
| 小説はあんまり読んでいなかった? |
| ゆずはら | いや、父親が見かねて、単身赴任から帰ってくるたびに小説の単行本や文芸誌をお下がりでくれたんですよ。またそれが、阿佐田哲也さんの『ドサ健ばくち地獄』とか、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』とか、邱永漢さんの『食は広州に在り』とか、小学校低学年の子供に読ませるべき作品かどうか首を捻る本ばかりだったんですが、ある文芸誌に載っていた『いちご色の鎮魂歌』というガンアクションものの短編小説がすごく面白くて。 |
| 聞いたことのない作品ですが――どういう小説なんですか? |
| ゆずはら | 大物政治家とヤクザに財産を奪われ、父親を失ったヒロインが銃を手に入れ、身体も鍛え上げて復讐を完遂するという筋立てはいかにも大藪春彦さんの小説っぽいんですが、問題はその超人的ヒロインが、同世代――小学三年生の女の子なんですね。まさに早すぎた『GUNSLINGER GIRL』というか、初めて読んだライトノベルというか……。でも、数年経って、大藪さんの愛読者になってから、思い出して探してみたんですが、大藪さんの作品にそんなタイトルの作品はないんですよ。 |
| ……え? |
| ゆずはら | 小林信彦さんの『素晴らしい日本野球』という短編集に入っていたんです。つまり、大藪作品のストーリーパターンと文体を模倣して書いたパロディ小説だったんですね(笑)。だから、最初から間違っていたというか。 |
| 太田 | ゆずはらさん、小林信彦さんの作品好きですよね。 |
| ゆずはら | 父親は零落した山の手人種なので、よく「東京人の鼻持ちならないところばかり書く作家が面白いのか?」とか「浅田次郎や大沢在昌のような、もっと売れる小説家に憧れろよ」とか首を捻られていますけど(笑)、その狷介で鼻持ちならないところまで含めて好きですね。 |
| 太田 | 僕もいま、ゆずはらさんから借りた『夢の砦』を読んでいますよ。 |
| ゆずはら | 東京出身と地方出身の違いがありますし、性格も陰と陽の正反対なんですが、編集者時代の小林信彦さんと太田さんは似ていると思うんですよ。太田さんも今、講談社BOXという「夢の砦」を築こうとしていますからね。 |
| ゆずはらさんが思春期の頃は「剣と魔法のライトファンタジー」全盛期だったと思うんですが、その辺は読んでなかったんですか? |
| ゆずはら | 富野由悠季さんの『リーンの翼』とか、平井和正さんの『幻魔大戦』とか、菊地秀行さんの『魔王伝』とか、「剣と魔法のライトファンタジー」以前の伝奇バイオレンスなノベルスの方が好きだったんですよ。 |
| ということは、ライトノベルはほとんど読んでいなかった? |
| ゆずはら | いえ、初期の角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫はよく読んでいましたよ。ただ、「今」ではない時、「此処」ではない場所を提示してくれるファンタジーは、思春期の自意識にとって必要なものだと思うんですが、思春期のぼくにとっては「剣と魔法のライトファンタジー」より、日常と地続きの「昭和」の方が面白くて、気がついたら、昔の風俗小説や中間小説、ノンフィクションばかり読むようになっていました。昭和の末期に生まれたぼくにとっては、昭和三十年代でも、ほとんど異世界みたいなものですから。結局、五年くらいのブランクを経て、『ブギーポップは笑わない』で再び、読むようになりました。だから、上遠野浩平さんがデビューしていなかったら、再びライトノベルを読むこともなかったし、こうして小説を書くこともなかったんじゃないかなー、と思います。 |
| 太田 | そういえば、かれこれ五年くらい担当させていただいていますけど、十年前のゆずはらさんがどんな仕事をしていたのか、まったく知らないですね。 |
| ゆずはら | 十年前は――勤めていた会社を辞めて、お金もなかったので、友人の家に居候していたんですが、「タダ飯は喰わせないぞ」と言われて、ぼちぼち小説や漫画原作の仕事を始めた頃ですね。とはいえ、専業作家になる気はなかったので、ゲーム会社に勤めたりもしてました。 |
| ゲーム会社では、シナリオを書いていたんですか? |
| ゆずはら | いえ、主に版権管理やメディアミックスの担当でした。外注でシナリオライターをやっていたこともあるんですが、会社に勤めたら、内部調整や対外折衝に忙しくて、むしろ創作活動からは離れてしまいました。でも、『空想東京百景』の複雑な単行本作業では、当時の経験が活きていますね。小池一夫塾に通っていた頃、講師のさくまあきらさんに「ゲーム作りの素人だった僕が、どうして『桃太郎伝説』を作れてしまったのかというと、出版編集の経験が様々な局面で役に立ったからなんだよ。編集というのは究極の雑用仕事だから、そのスキルはあらゆる物作りの役に立つんだね」と言われたことがあるんですが、単行本作業をやっていて、「その逆もあるんだなー」と思いました。 |
| 太田 | 十年前というと、インターネット上でテキストサイトなどが盛り上がっていた頃ですが、ネット上では活動していなかったんですか? |
| ゆずはら | 一応、ホームページは開いていましたが、今に至るまで十年近く放置しています。自分の価値観が異端であることを自覚していたので、自由に書ける場所だと、何を書けばいいのかまったく思いつかなかったんですよ。だから、仕事上でもジャンルのお約束に沿って書く「テキスト労働者」に徹していたんですが、趣味だけで書いた『空想東京百景』第一期シリーズがすごく楽しかったんですよ。個人的趣味に過ぎなかったものが、toi8さんとの出会いで一気にまとまって像を結んだというか。それで、第一期シリーズの連載終了を機に、一から勉強し直すことにしたんです。 |
| 太田 | ゆずはらさんが小池一夫先生に弟子入りされたのと、僕とゆずはらさんが出会ったのは、同時期でしたっけ? |
| ゆずはら | 講談社で太田さんと会ったのは、2003年の秋に『ファウスト』が創刊してからなので、ちょうど小池一夫塾に通っていた頃ですね。でも、2002年の第一回「文学フリマ」で『タンデムローターの方法論』を買っていたので、一方的に顔は知っていましたよ。 |
| 伝説の同人誌と言われている『タンデムローターの方法論』を買っていたということは――当時から、講談社ノベルスの熱烈なファンだったんですか? |
| ゆずはら | いえ、特にそういうわけでもなくて。連載が終わって暇になったので、友人に「最近の小説で面白そうな作品があったら教えて」と訊いたら、メフィスト賞のニューウェーヴということで『煙か土か食い物』『クリスマス・テロル』『クビキリサイクル』の三冊を薦められ、読んでみたんです。そうしたら柄にもなく興奮してしまって。それで、『ファウスト』創刊の時も「ファウストフェスティバル2003」の観客席にいたんですよ。 |
| 太田 | おお。観客席の側から見ていて、あのイベントはどうでした?
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| ゆずはら | 一緒に行った友人は「90年代の総決算だね」と言っていたんですが、同時に「00年代の幕開けなのかな」とも思いました。90年代はずっと憂鬱で、ほとんど死んだように生きていたんですが、脳内のスイッチが一気に切り替わったような気がしたんですよ。 |
| 切り替わった? |
| ゆずはら | ずっと、「これから何が起きるか分からない」という不安に囚われていたんですが、同時に「何が起きるか分からないという楽しみでもある」と考えるようになりました。逆に『ファウスト』の創刊を90年代の総決算として評価していた友人は、その後のいろいろな変化についていけなくて、ミニマムな領域に引きこもってしまったんです。今にして思うと、あのイベントが分水嶺になったというか、ムーヴメントに対する認識の違いが、ボディブローのように後で効いたような気がしますね。 |
| 太田 | それは西島大介さんも同じことを仰っていましたね。「ファウストフェスティバル2003で僕の読者が分かった!」って。で、その後、あれよあれよという間に一躍スターダムへ。非常に印象的でした。でも、講談社BOXや『パンドラ』でもまさに“たった今”パラダイムシフトが起こっているんですよ。実はミドルティーンこそが一番積極的に僕たち編集部を応援してくれているんです。これには僕自身もビックリしています。 |
| ゆずはら | やっぱり、世代交代しているんですね。 |
| 読者側から作家側になったのは、どういう経緯だったんですか? |
| ゆずはら | 『ファウスト』創刊号が発売した直後、いきなり携帯に電話がかかってきたんですね。それで「感想の手紙が面白かったから、もっといろいろ聞かせてくれ」と言われて講談社に召喚されたんです。 |
| 太田 | マーケティング調査の報告書みたいな手紙が届いたので、驚いたんですよ。 |
| ゆずはら | 当時は暇でしたから、些細なことまで書いて送っていたんですが、サラリーマン時代の癖で、完全に報告書文体で書いていたんですね。 |
| 太田 | 初対面の時、どんなことを話しましたっけ? 講談社の社員食堂でいろいろと話し込んだ記憶はあるんですけど、肝心の内容を忘れてしまって……。 |
| ゆずはら | ぼくもほとんど忘れてしまったんですが、どさくさに紛れて、暇つぶしに書いていた習作を渡した記憶はありますよ。後で「コピーして舞城さんと佐藤さんに渡したよ」とか言われて、顔面蒼白になりましたけど。 |
| 太田 | そういえばそんなことをした記憶が、まるで前世の記憶のように微かに……(笑)。舞城さんはさておき、佐藤さんから感想は聞きました? |
| ゆずはら | 感想なんか怖くて聞けませんよ。で、それからも何度か呼ばれたり、イベントで会ったりしていたんですが、仕事の話をするようになったのは半年くらい経ってからですね。それまではぼくをプロの作家だと思っていなかったんですよ。 |
| 太田 | いや、認識はしていましたよ。ただ、昔のゆずはらさんは、魅力的な世界観を作るんですが、エンターテインメントに対する考え方に屈託がありすぎでしたよ! だから、しばらくの間、僕は原稿を頼まなかったんですけれど、何度もお話しさせていただくうちに少しずつその屈託がさらにスペシャルに捩れて非常にいい塩梅に熟成、いや改善されてきたような気がして、「よし、一緒に仕事をさせてください!」と。 |
| ゆずはら | 改善というか――折衷案を作れる程度には、柔軟に考えるようになったんでしょうね。 |
| 太田 | 小池一夫先生に弟子入りしたのも、良い方向に働いたんでしょうね。 |
| ゆずはら | それはありますね。当時のぼくは、同時代性を強く意識していたんですが、時に応じて変幻自在というか、正しいアプローチや一つのテーマに固執する必要はない、と思うようになりました。たとえば、小池先生の近年の作品に『レイザー』という漫画がありますが、これは『御用牙』のかみそり半蔵が19世紀末のアメリカへ渡って、黒人の刑事とコンビを組み、世界初のシークレットサービス(大統領の護衛)となって大暴れする作品なんですよ。もちろん、フィクションのホラ話なんですが、とても七十歳を超えているとは思えないフリーダムな伝奇的想像力というか、なるほど、エンターテインメント作品はそのくらい自由に書いても許されるんだな、と思いました。そういえば、この前、推薦コメントをいただくために、太田さんを連れて久しぶりにお会いしたんですが、小池先生と太田さんはエンターテインメントに対する考え方が瓜二つなんですよ。 |
| 太田 | えっ、そうなんですか? 自分ではよく分かりませんが。しかし、僕は小池先生大好きですね。ああいう、独特の「漢」オーラを放っている人に僕は弱いんですよ。本当、かっこいい! |
| ゆずはら | でも、いつもは傍若無人に喋りまくっている太田さんが、小池先生の前ではガチガチに緊張して、ほとんど喋らないんですよ。それなりに長い付き合いですが、あんなに緊張した太田さんは初めて見ました。 |
| 太田 | 何を言ってるんですか! 当然、心臓も五秒くらい完璧に停まっていましたよ! だって小池先生は「伝説超人」と書いて「リビング・レジェンド」の一人ですよ! そんな偉大な方とごく普通に会話しているゆずはらさんを生まれて初めて凄いと思いましたよ。 |
| ゆずはらさん、この失礼な編集者を一発殴りませんか。 |
| ゆずはら | いや、慣れてますから。 |
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005――「思春期の自意識」と「超人願望」の間で |
| 『ファウスト』に書きはじめて、苦労したのはどの辺ですか? |
| ゆずはら | 『ファウスト』に書きはじめた頃は、他の作品と比べて、エンターテインメントとして中途半端なことで悩んでいましたね。太田さんからもよく「ゆずはらさんはもっと奈須さんを見習うべきだ!」と言われていました。 |
| 太田 | 僕の主義として、本当は「他人を見習え」なんて言わないんだけど、ゆずはらさんの場合、妙にひねくれているというか、快楽原則に抑圧的というか、自分自身の理屈だけで考えるとエンターテインメントとは正反対の方向へ行ってしまうんですよ。だから、少々強引ではありますが、編集者的にゆずはらさんの襟首をそっと掴んで方向修正したり、克服課題を与えたりしていましたね。 |
| 太田さんから与えられた課題、というのは? |
| ゆずはら | 『Beltway』で与えられた課題は、「第一期にいなかった男性的なヒーローを確立させる」でした。ぼくも日活無国籍アクション映画の小林旭さんみたいなヒーローが欲しいと思っていたので、これは〈隼太〉の登場でクリアしました。元々、彼は別の作品に登場していたキャラクターなんですが、太田さんが単行本を壁に叩きつけるほど嫌っていたので、性格を反転すれば、あっさりOKが出るんじゃないかな、と思ったんですよ。 |
| 太田 | いや、あんまり頭に来たので作品の内容も忘れてしまって、同一キャラクターとは気づかずにOKを出してしまいましたよ(笑)。 |
| ゆずはら | …………。それで、続く『悪魔と天使の季節』では「ヒーローを恋い慕う魅力的な女性を描く」。この課題はそんなに困らなかったですね。 |
| 連載に登場したキャラクターの中で、〈01〉が一番人気ですからね。 |
| ゆずはら | 小鳩がヒロインのはずなんだけどなァ――と思ったら、友人の女性から「アンタ、神様は恋愛対象にならないでしょ」と言われました。なるほど、そういうものなんだなー、と。toi8さんも「次回、誰を描きたいですか?」と聞くと、返答はだいたい〈01〉だったんですよ。この前、単行本記念の打ち上げで久々に聞いてみたら、「小鳩」と言っていましたが――。 |
| 『コミックファウスト』に掲載された『黒い猫』は、どうでしたか? |
| ゆずはら | 『黒い猫』では「とにかく派手な異能バトル」という感じで、毎回一つずつ、男性向け娯楽作品としての課題を与えられていたんです。あと、技術的なところでは「出オチはダメですよ」と釘を刺されていました。確かに、歴史上の有名人を意外な形で登場させて話の「サゲ」にするのは伝奇小説の鉄板テクニックで、昭和史ものでも大塚英志さんが得意としている手法なんですが、「大塚さんは二人もいらない」と言われまして。 |
| 太田 | それもありますが、その手法を使うのは、かなり熟練した作家でないと諸刃の剣なんですよ。相対的にオリジナルのキャラクターを弱くしてしまいますから。 |
| ゆずはら | 逆に、第一期のキャラクターやエピソードを何の説明もなく出したりするのは大丈夫だったんです。 |
| 太田 | 単行本で読まないとわけが分からないだろうな、とは思ったんですけど、物語としての整合性よりも、まずは作家として縦横無尽に羽ばたいてもらいたかったんです。 |
| ゆずはら | 『ファウスト』の執筆陣ではもっとも素人に近い作家でしたからね。その節はいろいろと余計な手間をおかけしました。 |
| 太田 | いや、最終的には素晴らしい本になったのですから、僕は本当に満足です。ありがとうございます! |
| ゆずはら | 思春期の自意識と超人願望は表裏一体で、心の底ではいつも「弱者は死ね」とか思っているものですから、本当はそういう願望に応える物語を書くべきだとは思っていたんですよ。でも、中二病の割には、正義の名の下に異能バトルで嬲り殺しにするような自警行為系の想像力が欠けていて、なかなか書けなかったんですね。 |
| 太田 | なんてひどい物言いだ! |
| ゆずはら | 太田さん、青春とは残酷なものですよ。超人――絶対的強者の立場から弱者を嬲り殺しにするのが、思春期の自意識にとっては最高の快楽なんですから。そして、ハードボイルドの方法論というのは、快楽原則から導かれる結論に対して人間の立場から自問自答することにあるんです。 |
| なんとなく、さっきの太田さんの突破力云々という批判が腑に落ちました。ゆずはらさんの中二病を知力で制御する性質は、思春期の自意識に於ける超人願望をハードボイルドの方法論で相対化する姿勢として表れているんですね。 |
| ゆずはら | その辺は、個人的な体験から「思春期の自意識」を考えた結果ですね。自意識に目覚めた代償として、学校に於ける集団生活への違和感が増大して、対人関係処理能力がオーバーフローするんですが、その混乱に対して、本能のレベルで強者と弱者の二進法という極端なシステム化を選択し、処理しようとするんです。そして、それはニーチェ的な超人願望と親和性が高いんです。凡俗――人間の理から外れている者だからこそ、思春期の自意識は超人――ヒーローとの自己同一化を求めるんですね。 |
| でも、「現実と紙一重の世界で繰り広げられるハードボイルドな群像劇」というのは、『Batman:The Dark Knight Returns』以降のアメリカン・コミックスに近い発想ですよね。 |
| ゆずはら | 『Watchmen』も好きですね。物語の求心力は異能者たちの超人性にあるんですが、超人性そのものより、ヒーローという存在に付随する様々な関係性を書きたかったんですね。そこで、レンズの角度を変えて、対象を「弱くて女々しい存在だから、特別な存在(ヒーロー)になろうとする」人々の内的必然性とその人間模様に焦点を当てるようにしたら、なんとか書けるようになりました。 |
| ヒーローという虚構の生をどう演じるか、という命題に対して、多角的なアプローチを行った結果、『空想東京百景』は群像劇、群体劇の形態を取ることになった、ということですか? |
| ゆずはら | そうですね。あと、以前は価値観の是非まで書いてしまう悪癖があったんですが、今はできるだけ読者の価値観と想像力に委ねようと心がけていますね。 |
| 最後に、今後の予定と『空想東京百景』第三期シリーズの構想について、お願いいたします。 |
| ゆずはら | 今は、『パンドラ』連載の『オタク・サブカル人間臨終図巻』の傍ら、第三期シリーズの準備を進めています。あと、ぼくは旅行好きというか、プチ放浪癖があるので、本編と平行して「異聞」を始めようと思っているんです。これは、平行世界〈東京〉以外の土地を舞台にした平行世界の物語ですね。それから、以前、第二期シリーズの世界観を固めるために書いた〈蓬莱〉の外伝小説を全面改訂しようと考えています。 |
| 〈蓬莱〉のエピソードは今回の単行本にも、断片的に入っていますが、あのエピソードの全容を書く、と? |
| ゆずはら | それもあるんですが、殺し屋ギルドとその周辺の情報をかなり書き残しているので、もう少し掘り下げたいな、と考えているんですよ。あと、ノーマルエンドっぽい話だったので、今度はトゥルーエンドとして書いてみたいんですね。もっとも、今回は六年越しの単行本化でしたが、次はいったい何年後になるんでしょうね(笑)。 |
| 太田 | それはもう、ゆずはらさんの気合い次第ですよ(笑)。 |