第一関門小論文
斎藤ミツ
No. : 36
合否 :
評価 : B−
持参した本 : 『冷たい砂の虜囚』水月真兎
選択した本 : 『号泣する準備はできていた』江國香織
なんてすてきなんてすてきなんてすてきなんてすてき
 『冷たい砂の虜囚』は、やおい小説(=BL小説)の昨今の流行のジャンルである「アラブもの」の人気作品。そして『号泣する準備はできていた』は、一般女性の支持の高い、都会的でセンスのよい洒落た作風の江國香織の作品。一方は「女性による女性のための男性同性小説」という、妖しげで、特定の女性読者が好む作品であるのに対し、江國作品は、おそらくのところ多くの女性たちが好むであろう作品。何の関係性もないかにみえるこれらの作品は、「女性のセックスにおける性欲を気持ちよいくらいに全肯定している」という点で共通しながら、ある一点においては正反対の志向性を持って描かれている。
 「号泣する準備はできていた」で「文乃」は、旅先で出会った「隆志」と、心も身体も熱烈に愛し合う。「文乃」にとって「隆志」とのセックスは、「らくらくとするするとしかもぴったりと重なり組み合わさる」、「なんてすてきなんてすてきなんてすてきなんてすてき」なものであり、それは彼女にとって「人生で最大の驚き」であったという。その性的充足感が、何の曇りもなく描き出されている。『冷たい砂の虜囚』の「三田村佳威」は、女性に負けない美貌と、特殊部隊のエリート隊員という腕っ節の強さを併せ持つ〈受〉。〈攻〉の「シン」はアラブ某国の王族であり、英国軍の訓練学校での一対一の訓練で「佳威」と相対し、額に傷をつけられて以来、彼に惚れ込んでしまっている。性的に奥手の〈受〉である「佳威」は、「シン」との受け身のセックスによって、我を忘れ、失神するほどの深い性的な喜びを得る。それは彼と「シン」にとって「人生で最大の驚き」と喜びであるとして、互いにホモセクシャルではない男性同士のセックスが肯定的に描かれている。
 しかしこの二作品は、共に「愛」と「セックス」、言い換えるなら「精神」と「肉体」を描きながら、その捉え方において正反対の志向性を持っている。「号泣する…」が、あれほどに心と身体がぴたりと合っていた二人が、やがてあらゆるものが変化し、セックスの相性を最高でも、違う相手をみつけて別れてしまう。精神と肉体が分離してしまうのだ。『冷たい砂…』で、「シン」は「佳威」に惚れて以来、他のいかなる女性にも勃たなくなり、別れて再会するまでの5年間、男女ともにまったくセックスができなくなる。やおい小説は、〈受〉と〈受〉の肉体と精神を徹底的に結びつ、連動させる。「愛する相手」と「最高に欲情する相手」が完璧に一致している、まさに奇跡的な恋愛小説なのである。「号泣する…」での「女」の涙は、人生における愛とセックスの分離と相手との別離に、常に人知れず流す準備をしていなくてはならないものとなっている。やおい小説での〈受〉の涙は、愛する〈攻〉とのセックス喜びの時に溢れる歓喜を表し、〈攻〉にサディスティックな喜びと満足を与え、時として〈攻〉を支配する有効な武器にもなるものとなる。この点において、この二作品はまったく正反対の志向性を持っているのだ。