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自分でくすぐっても、 なぜくすぐったくないのだろうか 山口創 2006年11月号


『皮膚感覚の不思議』
 自分でくすぐっても、くすぐったくはない。なぜだろう。当たり前のことすぎて、改めて不思議に思う人も少ないだろう。しかし実はこの単純な事実の背後には、実に長い生物進化の歴史が刻み込まれているのである。皮膚感覚というのは、視覚や聴覚など他の感覚に比べて、原始的な特徴を保っている。だから他の感覚よりも下位に位置づけられることが多い。しかし皮膚感覚は生きる上で不可欠の存在である。そして「皮膚は露出した脳」といわれるように、皮膚と脳とは密接な関係があり、それゆえ人の心にも大きな影響を与えている。人の心を皮膚感覚という切り口でみてみると、意外なおもしろい事実が浮かび上がってくる。
 自分でくすぐってもくすぐったくない理由は、脳を解剖してそのメカニズムをみればよくわかる。まず自分でくすぐるときの「くすぐれ(指を動かせ)」という指令を出すのは小脳である。小脳では「くすぐれ」という指令を出すと同時に、くすぐったさを感じる大脳の体性感覚野へと抑制指令を送る。そのため、くすぐったときの皮膚への刺激が、皮膚から体性感覚野へ到達する前に、脳ではくすぐったさを感じる扉をあらかじめ閉じてしまうのだ。ところが、他人からくすぐられるときは、このメカニズムがはたらかず、相手の手からくるくすぐったさが直接脳に届いてしまう。そのため、くすぐったく感じるわけだ。
 それでは、なぜ自分でくすぐる刺激を抑制するようなメカニズムが脳にはあるのだろうか。そもそもくすぐったさというのは、動物にとっては、寄生虫などの外部からの刺激を敏感に察知する感覚として備わったものだと考えられている。そのため、自分で生み出す刺激は区別して抑制する必要があるわけだ。
 たとえばアリなどが皮膚の上を這っていると、そこがくすぐったく感じる。これを「軽いくすぐったさ」というが、痒みに似た感覚であるため、「動く痒み」ともいわれる。このようなくすぐったさは、人間関係とは無関係に生じる感覚であり、くすぐったさの原型だと考えられる。
 ところがサルなどの霊長類になると、自分の皮膚についた寄生虫を取り去るだけでなく、グルーミング(毛づくろい)によって、相手の皮膚に付着した寄生虫も取ってやるようになった。グルーミングは、肌を接する(スキンシップをする)楽しいコミュニケーションであることから、やがてくすぐり遊びに発展していった。実際にチンパンジーは、親しい個体同士でくすぐり遊びをよくする。チンパンジーはくすぐったい感覚を持った、人間以外の唯一の動物なのである。このようなくすぐったさは、「軽いくすぐったさ」とは異なる。たとえば「こちょこちょ」といいながら、相手の脇の下に手を入れて指をリズミカルに動かすことで生まれるくすぐったさである。こちらは、「重いくすぐったさ」といわれ、むしろ痛みに近い感覚でもある。これは「軽いくすぐったさ」から派生して、むしろコミュニケーションのための感覚として進化したものである。
 つまり、もともとくすぐったい感覚は、寄生虫が皮膚に付着したことを知らせる役割をもつ感覚であり、単に不快な感覚であった。それがやがて個体間の親密なコミュニケーションのなかでくすぐり遊びとして発展してきたことから、次第に快の要素ももつようになったのだ。
 だから、人からくすぐられるときのくすぐったさには、「不快」と「快」の両方の要素が入り混じっている。それはくすぐられる人の行動をみれば一目瞭然でもある。くすぐられる人は、その刺激から逃れようと、身をよじったり逃げようとしたりする防衛反応を示す。これは不快な要素だ。しかしそれだけではなく、くすぐられた人は必ず笑う。これはむしろ快の要素である。もっと続けて欲しい、というメッセージを暗黙裡に送っているわけだ。だからくすぐる人は、くすぐられる人の反応をみながら、手加減をしてくすぐらないと、まさに「くすぐりの刑」となってしまう。そうなると、せっかくの親密な人間関係は破壊されてしまう。その辺りの適度な刺激こそがくすぐったさを生み出すわけだ。
 このようにみてくると、最初にあげた「自分でくすぐっても、くすぐったくない」という現象は、長い生物進化のメカニズムと、複雑な人間関係が交錯したものであることがおわかりいただけるだろう。人間にとってくすぐったさは、親密なコミュニケーションを営むために進化して獲得した感覚なのである。
 さて、この「自分でくすぐっても、くすぐったくない」という事実は、赤ん坊の自他分離(自分と母親が別の人間であるという認識)の指標ともなる。いろいろな月齢の赤ん坊を、それぞれの母親にくすぐってもらう実験をしてみる。すると赤ん坊は生後七〜八ヵ月ごろからくすぐったさを感じるようになることがわかる。なぜだろう。それ以前の赤ん坊は漠然と、「自分と母親は同じ人だ」という認識をもっており、そういう赤ん坊は母親からくすぐられたとしても、「自分で自分をくすぐっている」感覚を覚えるのだろう。くすぐられても笑うことはない。しかし生後七ヵ月以降になると、「くすぐっているのは自分とは違う人だ」という認識ができる。つまり他人からくすぐられている、とわかるからこそ、くすぐられて笑うようになるようだ。つまりくすぐったさは、赤ん坊にとっては自他分離の指標となっているのだ。
 また、くすぐったさは親密な信頼できる関係が築かれていないと、決して生まれない感覚である。親子関係でも、たとえば虐待のように、親と親密な関係にない赤ん坊は、くすぐられても笑うことはない。
 ところでくすぐり遊びは、親子ばかりではなく、恋人同士でもすることがある。くすぐったさという感覚は、非常に巧妙にできていて、それは性感とも密接な関係がある。前述のように、くすぐったさというのは、身をよじらせて逃れようとする不快な防衛反応と、親密な相手だからこそもっと触れて欲しくて笑うという快の要素ももっている。
 恋人同士でくすぐり遊びをするとき、最初は相手に対して不安を感じたり緊張したりというように防衛的であると、くすぐられたとき、単にくすぐったさしか感じないだろう。しかし、あまり人に触れられることのない、脇の下やわき腹といった部位をくすぐられるという特異なスキンシップによって、防衛反応は徐々になくなっていく。そして逆に、そのようなスキンシップによって、快の要素が高まり、それが恋愛感情と交錯して、性感に変貌するわけである。
 実際にロシアの歴代の女帝には「足裏くすぐり女」という侍女が数名ついており、セックス直前の状態にまで性感を高め、満足させていたそうである。また女性は全身が性感帯であるといわれることがある。それは、相手の男性が、寄生虫のような「悪い虫」でないかどうかを、くすぐったさという皮膚感覚で確かめているのかもしれない。このように、皮膚感覚は人間関係のアンテナとしての機能ももっている。
 話はくすぐったさに限らない。街には「さわらないでください」というメッセージがあふれ、私たちが日常触れるものといえば、スベスベ、ツルツルの工業製品ばかりである。母親は子どもにあまり触れなくなった。子ども同士も肌をくっつけて遊ぶことが少なくなった。皮膚感覚は自分と他人、あるいは自分と環境との境界で生まれる感覚である。その感覚は、他人や環境との関係のもち方という、心のあり方が大きくかかわっている。本来もっているはずの豊饒な皮膚感覚が希薄になったことが、私たちの心に落としている影は大きいように思う。昨今の子どもやおとなをめぐる心の問題は、皮膚感覚が希薄になったことと密接な関係があるように思えてならない。具体的な問題については、拙著『皮膚感覚の不思議』(講談社ブルーバックス)で述べているので、参考にして頂きたいと思う。
(やまぐち・はじめ 聖徳大学講師、身体心理学)