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「ホーム」と「アウェー」 法月綸太郎 2007年2月号


 私はどうやら、編集者から便利な人だと思われているらしく、やたらと文庫ミステリーの解説を頼まれる。××先生のたってのご指名で、などと言われると、うーん、断ったら角が立つなあなどと考えて、日程的に原稿を書くのが不可能でないとき以外は、しょうことなしについ引き受けてしまう(海外作品を除く)。あとでよくよく聞いてみると、××先生のたってのご指名というのは、ほとんどの場合、編集者の方便にすぎないのだが。
 私の場合、解説を一本書くのに、だいたい一ヵ月——実際に原稿に取りかかるまでに、関連書を読んだり、資料を調べたりする準備期間も含めて——ぐらいかかる。枚数が多くても少なくても、かかる時間はほぼ一緒で、むしろ短い原稿の方が枚数を切り詰めるのに苦労したりする。準備期間なしに、いきなり原稿を書き始めるときもあるけれど、そういうときはあまり満足の行く仕上がりにならない。不全感がストレスになって、その後しばらく仕事が手につかなくなったりするので、それだったら最初から相応の時間をかけて準備した方がマシである。
 もちろん、それだけの時間をかけたからといって、必ずもくろみ通りの文章が書けるわけではない。たいてい、最後の方が駆け足になって、書ききれなかったと悔しい思いをするものだ。初めて解説を書いたのは一九九一年、『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』(ジューン・トムスン、創元推理文庫)という作品で、いま数えてみたら、それから十五年の間に、四十冊以上の本(四六判を含む)にあらずもがなの駄文を寄せている。
 作家が本業の人間としては、かなり多い方だと思うけれど、それでも解説のコツというものを会得した気はしない。毎回、何をどうやって書いたらいいのか、〆切のギリギリまで頭を抱えて、ひいひい言いながら、手探りで文章を書いている。自分でもうまく書けたんじゃないかと思ってひとり悦に入ることはあるし、読者から好意的な反応が返ってきたりすると、解説者冥利に尽きるものだが、そういうことはめったにない。
 ちなみに小説の場合でも、短編一本書くのに、およそ一ヵ月ぐらいかかる。単純に計算すると、これまで解説を書くのに要した時間をすべて小説に費やしていたら、短編が四十作——ただし、そうそうアイデアが出てくるわけではないから、大ざっぱに三分の一として、実質、十二、三編。短編集が二冊分ぐらいできそうな量になるだろうか。解説以外にも、もう少し長目の評論をいくつか書いているので、それだけ小説を書いていたら、今ほど「遅筆作家」といって後ろ指を差されたりはしなかったかもしれない。そのかわり、たぶん今よりはるかにつまらない小説家になっていただろう。
 私にとって小説を書くのは「ホーム」の試合で、解説とか評論とかを書くのは「アウェー」に遠征するようなものだ(「ホーム」と「アウェー」の両方で試合をするのは当たり前のことで、ことさら二足のわらじとか、一人二役というのはおこがましい)。解説の場合は文字通り「アウェー」だし、もう少し長い枚数のまとまった評論を書くときでも、必ず一回こっきりの読み切り原稿で、なじみの雑誌で連載というのはしたことがない(e‐NOVELSの「週刊書評」はその例外だが、私にとってはウェブそのものが「アウェー」である)。やったことがないので、大きな口はたたけないけれど、連載評論というのはやはり「ホーム」の試合で、「アウェー」の緊張には欠けるんじゃないかと思う。

 そういう「アウェー」の原稿をまとめて、新たに二冊のミステリー評論書を上梓することになった。タイトルは『法月綸太郎ミステリー塾(日本編) 名探偵はなぜ時代から逃れられないのか』『同(海外編) 複雑な殺人芸術』。評論書としては、九八年刊の『謎解きが終ったら』に続くもので、最初は一巻本で出すつもりだったのが、雪だるま式に原稿が増えて、結局、日本編と海外編の二分冊になってしまった。文庫の解説(四六判もある)やその他の評論・レビューを寄せ集めたもので、特にこれという統一的なコンセプトはない。なるべく「アウェー」の空気を残すために、語句や表記の統一にもあえてこだわらなかった。
 ただ、同じ人間が書いているものだから、反復強迫的なテーマがくり返し顔を出し、執筆当時には本人も気づかなかったモチーフが地下水のように本の底を流れている。気恥ずかしいので、それをここではっきりとは書き記さないけれど、こうやって本にまとめる作業は明らかに「ホーム」の試合という感じがする。そもそも小説家が本業でなければ、こういう売れない本はなかなか出してもらえないはずで、そこらへんはやはり「ホームタウン・ディシジョン」というやつが微妙に影響しているにちがいない。
 まあ、それはそれとして、書名について少し説明しておきたい。日本編の「名探偵はなぜ時代から逃れられないのか」というタイトルは、もともと『このミステリーがすごい! '97年版』(宝島社、一九九六年十二月刊)に書いたその年の国内本格レビューに自分で付けた題名で、同じ年の九月に刊行された渋谷陽一の評論集『ロックはどうして時代から逃れられないのか』(ロッキング・オン)から引っぱってきたものだ。ところが、実際に本が出た時には、何の断りもなく「作家が語る『名探偵』の悩み」というトンチンカンな題名に変えられていた。
「アウェー」の試合では、こういうことが起こるのは珍しくない。にしても、事前に何の連絡もないのは失礼だろうと思って、編集部に電話で文句を言ったが、見出しをつける権利は向こうにあるし、活字になってしまったものはしょうがない。もしこのレビューを自分の本に入れることがあったら、絶対にオリジナルの題名に戻してやろうと心に決めていた。それが九六年の年末で、レビューの没タイトルがついに本のタイトルにまで昇格したのは、十年後のリベンジというか、私が執念深いからである。本の内容を的確に反映したタイトルとは言えないけれど、いま読むと執筆時のナマな印象を感じさせる文章が多いので、そんなに大ハズレでもないのではないだろうか。
 海外編の「複雑な殺人芸術」というのは、ユリイカ臨時増刊「総特集ジェイムズ・エルロイ/ノワールの世界」(青土社、二〇〇〇年十二月刊)に書いたロス・マクドナルド論から取ったもの。当然これにも元ネタがあって、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド論「単純な殺人芸術」——原題はThe Simple Art of Murderといって、「素朴な殺人美学」とか「簡単な殺人法」とか「殺人の簡素な技法」とか、いろいろな訳がある——と対比させたタイトルである。書名としてはちょっと硬いし、大仰すぎるところもあるけれど、本の内容に一番しっくりするものとしてこれを選んだ。『法月綸太郎ミステリー塾』という冠をくっつけたのは、どちらかというと営業的な配慮で、いずれの書名もそれだけでは何の本だかわかりにくいんじゃないかと思ったからである。
 
(追記)
 本が二分冊になったせいもあり、あらためて「まえがき」や「あとがき」に当たる文章を書き加えることができませんでした。まことに僭越ながら、この場を借りて、謝辞を記しておきます。
「作品の引き立て役にとどまるべき解説等の再録を快諾していただいた作家ならびに翻訳家の皆さんと、各社編集部のご厚意に感謝の意を表します。
 どうもありがとうございました」
(のりづき・りんたろう 作家)