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ロシア社会の欺瞞と幻想 中村逸郎 2008年12月号


ロシアはどこに行くのか タンデム型デモクラシーの限界  そのときのわたしはロシア流に表現すれば、神に近づいた瞬間だったのかもしれない。
 ロシア正教の信者でないのに大袈裟に書き起こしてしまい、正直にいって失敗した。しかしそれでも書きあらためなかったのには、理由がある。わたしは突然、ロシア社会の深淵へと突き落とされ、幸か不幸か、聖なるロシアを身近に感じることができたからだ。まさに、ロシアの古い諺「悲しみ多ければ神に近し」である。
 二〇〇八年一月二日のことである。わたしは『ロシアはどこに行くのか―タンデム型デモクラシーの限界』(講談社現代新書、二〇〇八年十一月)の調査のために、モスクワ市内に滞在していた。宿泊先から三百メートルほど離れた都心の地下鉄駅「オホートヌィ・リャード」にむけて、地下道を歩いていた。コンクリートがむき出しの無機質で薄暗い通路は人影がまばらだった。一人の男性が、わたしに背を向けて前方五メートルほどをゆっくり歩いていた。その歩行者が突然、灰色コートの右ポケットから小さなビニール袋をドサッと音をたてて落とした。かれは、そのことに気づいていないらしい。
 ビニール袋は透明なので、中身が丸見え。輪ゴムで束ねられたドル紙幣の五十枚ほどが、目に飛びこんできた。わたしはすぐにそのビニール袋を拾いあげ、男性を追う。そしてかれの肩越しに呼びとめた。
「ビニール袋を落としましたよ」
「エッ、そうですか……。たしかにわたしのお金です。ありがとう」
 三十歳すぎの男性は目尻をさげ、笑みを浮かべた。安堵の表情を目のあたりにして、わたしはうれしくなった。しかし、その時である。男性の表情が急に険しくなり、あわただしく自分のズボンやコートのポケットに手を突っ込みはじめたのである。なにを探しているのだろうか。
「アレッ、おかしい。ドル札の入ったビニール袋がもうひとつあったはずです。どうやら、それも落としたようです。あなたはそのビニール袋を見ませんでしたか。それを隠していませんか」
 男性は二つのビニール袋を落とし、わたしが一つの袋だけを返したと決めつけているふうだ。見当たらないもうひとつのビニール袋は、わたしが奪ったといいたいのだろうか。
「なんの話ですか。わたしが拾ったのはこのビニール袋だけです。もうひとつのビニール袋なんて、知りません。あなたは勘違いしているのです」
「嘘をついているのは、あなたです。だれか助けてください! この男は泥棒だ! 警察官を呼んでくれ!」
 わたしはすぐに、事のなりゆきを理解できなかった。かれはわたしに、心からの感謝のことばをかけてくれたばかりである。それなのに突如、わたしを泥棒だと叫ぶ。またたく間に五、六人の通行人がわたしを取りかこみはじめた。かれらの白い息がたちのぼり、少しずつ騒々しくなってきた。人びとは困惑の表情を浮かべる男性に同情し、わたしをあきらかに疑っている。そして二人の警察官が小走りに近づき、通行人たちを押しのけて、男性とわたしのまえに立ちはだかった。男性は警察官に、フリーマーケットの売上金を盗まれたと訴えはじめる。警察官はかれの話に黙って耳を傾け、うなずくばかり。わたしはこのままでは、一方的に犯罪者の立場に追いやられてしまう。
「この男が二つのビニール袋をもっていた証拠はあるのですか」
「では、地下鉄駅構内にある警察官の詰所でゆっくり話を聞くことにしましょう」
 わたしは懸命に反論したが、警察官はそう告げた。すぐに二人の警察官はわたしの両脇をかため、男性もいっしょに詰所に向かうことになった。行き交う歩行者たちの冷酷な視線が、わたしに突き刺さる。改札口を抜け、プラットホームの端にある階段を下りると、木製のドアがあった。その先の部屋は薄暗く、天井から吊り下げられた白熱灯が地下鉄の振動で左右に揺れている。十畳ほどの広さの詰所には二、三人の警察官が談笑していた。
 かれらはわたしたちに視線を向けるだけで、なにも声をかけない。二人の警察官はすぐにわたしに両足を広げ、壁に両手をつくように指示した。かれらはわたしの持ち物をすべて取り出し、机のうえに並べた。先の男性と警察官はわたしの財布の中身に関心があるらしい。紙幣を財布から抜きとったが、ルーブル札が五枚(三千円ほど)あるだけだ。三人は目配せし、一人の警察官が小声でこういった。
「メーラチ(これぽっちだよ)」
 ドル札が一枚も入っていなかったからであろう。期待はずれだったのである。ここにいたって、わたしはかれらが共謀して、わたしからドル紙幣を巻上げようとする計画だったことに気づいた。
 わたしが、もし百ドル札を何枚ももっていれば、男性は「自分のものだ」と主張したにちがいない。警察官は男性の言い分を認め、あとで山分けしたことであろう。わたしをそのまま解放すれば、わたしが在ロシア日本大使館に駈け込むこともありうる。かれらにとっては、面倒な話になる。だからわたしは、かれらの手で消されていたかもしれない。じつは警察署で姿を消す外国人が続出しており、なかでも旧ソ連構成国の人びと三十人ほどが毎日モスクワ市内の署内で行方不明になっているようである。ロシア人の間では、警察官はロシア最大のギャングだと恐れられている。
 いまから振りかえれば、わたしは落とし物に気づきながらも、見てみないふりをしたほうがよかったのかもしれない。善意につけ込まれてしまった。日本では「一日一善」を積みかさねることの大切さが唱えられ、一つひとつの善行が他人を幸せにし、予定調和的に快適で明るい社会が出現すると想定されている。でもロシア社会で「一日一善」を実行しようものならば、命を縮めることになりそうである。ロシアで生活すると、なにが正義で、なにが人間の誠実さなのか、熟慮してしまうことが多い。
 いまのロシア社会はときどき帝政ロシア時代と同様な欺瞞とたわ言、幻想で覆われ、人びとの心は虚ろになりがちである。どんなに経済が好転しようとも、欧米諸国のような社会秩序を確立することはないだろう。むしろ逆に、多くのロシア人はより伝統的な価値、より絶対的な規範を欲するようになっている。わたしにも、その気持ちが少しずつわかりはじめた。ロシア人にとってそのようなロシアを体現するのが崇高な人格者のツァーリ(皇帝)で、その人物こそ、いまやプーチンだというのだ。
 ある男性がプーチンに、つぎのようなメールを届けた。
「わたしに息子が生まれました!!!!!!!!!!!! ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ、息子はロシアに生まれて幸運だったと思いますか。ほんとうの気持ちだけをおしえてください」
 この男性は、まるで父親に報告するかのようにプーチンに子供の誕生を伝え、そのうえで混沌とした社会状況について率直な感想を聞き出したかったのである。だがプーチンは「よい社会になるように努力しましょう」と答えるのが精一杯。この返答に質問者が満足するはずがなく、「慈父たる皇帝」プーチンの欺瞞性が透けてみえたかのようである。
 わたしはロシアからの留学生に、同じような質問をしてみた。すると彼女の顔は真っ赤になり、押し黙ったままで泣きだしてしまった。そして一言だけつぶやいた。
「わたしを、ずっと苦しめているテーマです」
 ロシアに生まれ、ロシアで生活する悲惨さがときどき、癒えない傷のように口を開くのであろう。彼女の涙は苦悩を深めながらも、人間の良心のありようを懸命に模索する生命の光を発しているように感じられた。悲しみを色濃く滲ませる涙でありながら、どこかその涙はとても神聖なものに映る。わたしは留学生に、「思う存分泣いてください。神に近づくために」と声をかけることしかできなかった。そうした運命に翻弄されるロシア人を、わたしは救済することはできない。わたしが無力で、ロシアが神聖なだけだ。ただ冒頭の書き出しの失敗とちがって、このように本文を書きおえることに後悔しないと思う。
(なかむら・いつろう 筑波大学教授、ロシア現代政治)